古の超人を祀る神社 (脇町 山彦大明神)
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表向きの祭神は金山毘古命(神話に出てくる鉱山の神)とされているがこれは仮の名で、実は伊勢伝左ヱ門という稲田力郎兵ヱの家臣を祭ってある。
通称山彦はんと呼ばれて親しまれているこの神様に関する伝説は有名である。脇町新町に住み、文武の達人で、また魔術を心得て奇怪な行いが多かったのでついに主君に忌み嫌われて正徳4年(1714)3月25日処刑されたという。(美馬郡郷土誌)祭神(人?)「伊勢伝左ヱ門」を祀る「山彦大明神」。
現代でいう超能力者のような伝説が残されているようです。
このような噂を耳にした蜂須賀公に秘術を見せるように命令され、披露の際に何を思ったのか大蛇に変身して蜂須賀公に襲いかかり、その無礼を理由に死罪を申し渡されたのでした。
主君の稲田の殿様も止むなく領内の川田山で処刑するよう指図し、善左衛門は竹籠に伝左衛門を入れて川田山へ出立。
その時、火の中から白い鷲が二羽飛び出し、大空へ向かって飛んで行ったそうです。(一羽は曽江山の方へ、もう一羽は穴吹の白人はんの方へ)そのようなことがあってから、稲田家には不幸が相ついで起こりました。
稲田家も重なる不祥事が起こるのは、伝左衛門の亡霊のたたりであると思い修験者を使って拝ませました。ところがその修験者のお告げでは「箸蔵から七尾七谷の端の景色のよい所へ祭れ」とのことで決められたのが脇町曽江名の曽江山。
そして川田山にあった墓を移してそこに社を立てました。それが今の山彦大権現です。
伊勢伝左衛門は文武両道にすぐれていたので、戦時中は戦勝祈願などがなされていたようです。上海事変(昭和七年)ころより弾除けの神とされたそうで、相当の御利益が得られたそう。
秋祭には山彦はんの神輿が、生家のあった脇町新町までお渡りをしますが、夜中に曽江を出発し、脇町を通る時は無言で通過するそうです。それは言い伝えによると、帰途につく時、おみこしが帰ることをきらって動かなくなったり、また後もどりしたこともあるそうです。
その昔、脇町警察署に神輿が突っ込んだ際に当時の署長がお祭りを禁止させたそうですが、その一人息子が発狂したそう。祟りに怯えた署長は祭りの再開を余儀なく許可したそうです。
こんな感じで「伊勢伝左ヱ門」の超人ぶりと祟りだけクローズアップされている感はありますが、「阿波の民話」では以下のように伝わっているようです。麻植郡三山村大字川田山の日向に山彦大明神がある。祭神は伊勢伝右衛門じゃ。
伊勢氏は尾張国の人で、縁あって阿波へ来て蜂須賀氏に仕えた。後に一番家老稲田氏の家臣となり稲田家臣に軍学を教えた。
伊勢氏は軍学のほか神道にも詳しかった。ところが、伊勢氏の評判がようなるんをねたむもんも出てきた。ついに主人に告げ口するもんがおった。
告げ口を真に受けた主人は、伊勢氏に「山籠もり」と偽って川田山の百姓家へ連れ込み、そこで命を奪うた。
伊勢氏は無念の死によって主人を恨み、自分をそしり告げ口をしたもんにタタった。告げ口したもんは次々に死んでしもうた。
主人はこれには恐れて脇町曽江山に山彦大明神としてお祭りし、川田山の伊勢伝右衛門の墓にも祠を建てて、山彦大明神としてねんごろにお祭りしたそうな。(阿波の民話より)これから考えると本当のところは「阿波の民話」の方が脚色なく書かれていることから史実に近いものだと思います。そもそも「山彦大明神」をお祀りしているのはたぶん告げ口した○○家。後ろめたい分、「伊勢伝左ヱ門」を超人のように伝承したのでしょう。このような伝説が残る神社なので現在はひっそりと関係者だけでお祀りしている印象を受けた神社でした。