卑弥呼が眠る神社 (天石門別八倉比賣神社)
今回は「天石門別八倉比賣神社」について。
この神社については阿波古代史を研究するブロガーのみなさんが研究内容を自らのブログに投稿しております。
私は可能な限り被らない内容を提供しようと考えてこのブログを立ち上げました。よって他の方とはかぶらないネタを。
さて、この神社には遠い昔から参拝する順序が決められています。
1.まず手水舎で手と口を浄める。
2.拝殿(本殿)にて拝礼。
3.右手の稲荷社にて拝礼。
4.神殿を掛ける通路の下をくぐる。
6.神殿を掛ける通路の下をくぐり、階段をのぼる。
7.奥の院にて拝礼。
というような手順が決められているんですね。
それはなぜか???
一説には聖徳太子が神山町 神領 高根山にあった「卑弥呼の御陵」を気延山の山頂に移設し、さらに江戸時代に山頂から現在の場所に移動されたといいます。(※ 現在の社殿、境内も古墳の一部を削って造設しています)
神山町神領 高根山「悲願寺」の「卑弥呼」=「大日孁神」を拝んでいるのです。
また、この神社には「天照大神」の葬儀の模様を社伝(杉の小山記だったかな)で継承しています。
この内容は面白いですが、長くなるので省略。
その社伝の物語の中で「天照大神」の「葬具一式」を埋めたとされる場所(推定)ですが「隠し谷」とされています。
場所は明かせませんが、このような石碑も立っています。(見つけても掘らないように)
おくだんは ふるきみそぎば かくれだに (作年月日不詳)
例えば入田町「麻能等比古(まのとひこ)神社」の流れをくむ神社があったり、その他にも大社クラスの神社(祭神)の経由地となっているのです。
「祭神の移動経路を調べろ」
それを辿る(遡る)と「その神を崇拝する部族」の移動経路が明確になります。
興味がわいたら色々調査したら面白いですよ。