awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

名東郡

船戸の盡(はて)〜(一宮町 船盡神社)

一宮祠の東百八十歩 船渡神あり 或は以て船盡と為す是なり三代実録貞観十四年十一月二十九日従五位を授く、旧事記云ふ島之石楠船神又の名は天島船神、大宜都比売命の兄弟也 船戸の神、即ち「岐(き)ノ神」についての解釈は難しく、時間的・空間的に拡散して…

大宜都比売命直系 阿波女社宮祖系を追え!(一宮町 一宮神社、国府町 天石門別八倉比賣神社)

最近、大宜都比売命にいろんな意味でハマっております。 一宮神社には「阿波女(あわめ)社」国造家の系図が所蔵されていたとのことで、「阿波女社宮主祖系」を取り入れた「粟国造粟飯原家系図」が残されております。これには積羽八重事代主神の后神として…

五柱寄りて寄明神(一宮町 寄神社)

与利大明神 前に申通成助居城の鎮守ニ而御座候一宮城本丸の東北方約五〇〇メートルのところに「御殿居(おどい)」と呼ばれる平時に城主の居城がありました。南側と西側に狭くなった堀跡が譬田(たといだ)用水と呼ばれる農業用水となって残っております。…

阿波一宮城 明神丸は大宜都比売命の祠跡(一宮町 一宮神社)

今回は大宜都比売命繋がり続編ということで一宮神社です。 awa-otoko.hatenablog.com ところで「阿波志」を調べてましたら「弘法大師 山祇ノ神、宇賀女神、宇賀御霊神の三神を合わせて稲荷神として祭る」と書いてあります。 完全にスルーしてしまってました…

高良(甲羅)峯に行ってきた☆(以の山編 上鮎喰 高良峯)

武内宿禰、阿波では高良明神(こうらみょうじん)と呼ばれます。この人の葬陵が以乃山(眉山)の西にある高良峯(こうらみね)にあったがゆえの呼び名であります。武内宿禰の古陵(と伝わる場所)は眉山カントリー内の八人塚古墳の峯続きにある四世紀に造営…

スサノオを祀る八坂の元社(以の山編 加茂名 溶造皇神社)

以前にも紹介したことのある「溶造皇(ようぞうのすめら)神社」。それは元々「いのやま」に祀られておりました。 <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/12/18/005813" data-mce-href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/1…

蔵本三谷の少彦名命(佐古 椎宮神社)

加茂名村 蔵本三谷に粟島神社あり、少彦名命を祀る。元阿波郡柿原村にありしを徳島城裏鬼門の守護として佐古十四丁目に置き、當時附近一体の地茫漠たる柳原なりしを以って柳原の名に呼ばれたり、其の後三谷に遷り以って今に至る、里俗祭神を女神と稱するは美…

大日寺は船盡神社の別当寺(大日寺、船盡神社、一宮神社、船盡比賣神社、麻能等比古神社)

(大日寺) 四国第十三番霊場である一宮町 大日寺は弘法大師の開基にして蕉中分國中寺の近くにあります。 (一宮神社) しかし大日寺は元来、神山町 船盡神社の別当寺であり、一宮神社の別当寺であった神宮寺の廃絶と共に現地に移動して一宮神社の別当寺とな…

磯輪上乃秀真国是阿波国也(舎心山 太龍寺縁起)

天長二年、空海教王護国寺の管長になりて三年、阿波国太龍寺縁起金剛遍照撰を修め、「阿波国那賀郡舎心山太龍寺天神七代之内六世面足尊煌根尊降居坐磯輪上秀真国是阿波国也」と阿波国太龍寺に一文を寄せた。 これは倭奴国面土国王を長の国(那賀郡)の大王面…

誓約の皇子達(八万町 王子祠、丈六町 熊野神社)

徳島市八万町には建速須佐之男命は天照大神の宇気比・誓約から生まれた五人の皇子、そのうち四人の皇子の祠が存在していたことが「八万村史」には記されています。 まずは五人の皇子が生まれるまでの簡単な経緯から。 伊邪那岐命(イザナギ)が建速須佐之男…

天石門別八倉比賣神社の桜

【勝手に投稿150回記念】天石門別八倉比賣神社 本日の桜。たぶん今夜の嵐で散りましたね…

黒田の庵戸宮(蔵珠院、芝原八幡神社)

国府町芝原(黒田)の地は第6代孝安天皇暦102年(紀元前291年)に、第7代孝霊天皇により遷都されたと伝わる黒田庵戸の宮の推定地。 芝原(黒田)八幡神社は「大倭根子日子賊斗邇命(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)」こと、「孝霊天皇」がもともと…

宇都志国玉神は不動に坐す(上鮎喰、不動町)

「その汝が持てる生太刀・生弓矢をもちて、汝が庶兄弟をば、坂の御尾に追い伏せ、また河の瀬に追い払いて、意禮(おれ)、大国主神となり、また宇都志国玉神となりて、その我が娘・須世理比売を嫡妻として、宇迦能山の山本に、底津磐根に宮柱布刀斯理、高天…

阿部仲麻呂(入田町 三かさ山)

天の原 ふりさみければ 春日なる 三かさの山に 出でし月かも… 【解釈】大空を仰いでみると、今しも月が美しく昇っている。あの月は、故郷の春日にある三かさ山に昇っていた月と同じ月なのだろうか。 阿部仲麻呂が故郷の山々を思い浮かべながら詠みあげたこの…

全国唯一。藍の神様 (佐那河内村 猿田彦大神)

(藍神様) 阿波の佐那の縣(佐那河内村)に全部唯一藍の神様を祀る社があります。 (佐那河内村 大宮神社) (大宮神社境内碑) 名東郡佐那河内村「大宮神社」の境内脇には猿田彦大神が祀られ、その神は古より「藍神様」と呼ばれており、藍の栽培が盛んであ…

阿波から奈良へ(大御和神社)

(文武天皇) 「高天の原に事始めて遠天皇祖(すめろぎ)の御世中今に至るまでに天皇(すめら)が御子のあれ坐(ま)さむ弥継(いやつ)ぎ継(つ)ぎに大八島国知さむ次(つぎて)と、天つ神の御子ながらも、天に坐(ま)す神の依(よ)さし奉(まつ)りに隨…

法隆寺の元社と二体の観音像(救世山 峯薬師)

(救世山 峯薬師: 現在の法谷寺) 徳島市庄町にある「救世山峯薬師」、現在は「救世山大乗院法谷寺」。この寺は聖徳太子の父、用明天皇、崇峻天皇、そして聖徳太子の弔い寺であります。 (救世山 峯薬師 縁起) 寺の縁起によると、古 小治田宮(おはりだのみ…

高天原を考える(その4.須佐之男命)

前回では大日孁命(卑弥呼: 天照大御神)関連から高天原の領域について触れました。今回は須佐之男命(すさのおのみこと)で進めます。とは言うものの、前置きが長くてなかなか須佐之男命の名が出てきませんが、どうか気長く読んでみて下さいませw(笑)さて…

八坂の元社は「溶造皇神社」

大日孁神命(おおひるめ)により近代化された米作に加え、素戔嗚尊(すさのお)によって初めて鉄の生産が伝えられ、急速に阿波国は発展していきました。素戔嗚尊は大倭の真神原では阿波神社、岡山県玉野地方では八浜の快神社、諸国では八坂神社、祇園神社等…

忘れられた田口大明神

国府町桜間八幡神社境内にある高さ六尺ほどの五輪塔(凝灰石製)は 桜間城主 田口氏の墓と云われています。 桜間城主であった桜間介能遠は阿波国名西郡桜間を拠点とした豪族。 阿波の政治や経済を執り行なう在庁官人の筆頭でありました。 この神社は明治初め…

廣濱大明神(広濱神社、矢野古墳)

入田村大字矢野に、広濱大明神といふ社がある。又、そのあたりに、広濱名(ひろはまみょう)といふ田がある。これは「日本後紀」弘仁二年の條に、「夏四月已丑、阿波國人百濟部濱等一百人𧶽姓百濟公。」とある。百濟部広濱を祀った社であらうといはれてゐる…

山幸彦と豊玉姫の出会いの場所(瑠璃山 井戸寺)

綿津見の宮… 南井上の地は昔の井上(ゐのべ)郷の中心に位置し海神の住み給う処でありました。 神代神話にあらわれた山幸彦、海幸彦が釣針の争いから、山幸彦は塩椎翁(航海の神)の教えによって海を渡り釣針を求めて「綿津見の宮」に行かれた。 その地は当…

天帶の宮(雨降神社)

南新居村にある和多都美豊玉比賣社は「延喜式内」にある社で、祭神は豊玉姫、俗に雨降の宮と言はれてゐる。(中略)「神名帳」名方郡の和多都美豊玉比賣神社といふのは、和多都美神御子 豊玉比賣神の義であって「神名帳」對馬島上縣の和多都美御子神社あるな…

国中大明神 「唯一真神」とは?

名東郡一宮村に国中大明神と申す社坐せり、式外なれどこれ古く故あるしにはあらざるか、同じ村に国中寺といふ村もあり、此の外にも同神あり、勝浦郡芝生村、那賀郡宮倉村、美馬郡岩倉村、同村芋穴、同村暮畑、同村川原芝、同村横倉、同村西ノ名、同村中八、…

大滝山 三重ノ塔(勢見山、大滝山)

眉山は昔から徳島のシンボルとして親しまれております。 今回は阿波古代史ネタ、神社巡りから離れて、明治末期から大正初期にかけての眉山を追ってみたいと思います。 その昔、眉山の山腹に三重塔があったのはご存知でしょうか。 【三重ノ塔】 【不動滝上の…

孝霊天皇の血縁(天佐自能和氣神社)

徳島市不動町に鎮座する天佐自能和気神社。 まずは由緒から。 祭神 高皇産霊尊神皇産霊尊意富夜麻登玖迩阿礼比売命日子刺肩別命延喜式神名帳に曰く小社座祈年国幣に預り給う 古事記に言う孝霊天皇妃に意富夜麻登玖迩阿礼比売命に日子刺肩別命が生れこの皇子…

蜂須賀が動かした神々

大日本地名辭書に云、延喜式名方郡天石門別豊玉比売神社は今佐那河内村の天岩門別神社是なり(阿波名勝案内より)冒頭からすごいことを引用してさそまいました…(笑)大日本地名辞書では式内社 天石門別豊玉比売神社は天岩戸別神社であると断言しています。…

粟の国と長の国(二柱の神と二つの港)

古代の阿波は粟圀と長圀との二つに分かれていました。その境界は名東、名西二郡を隔てる山であり、南方に長圀、北方に粟圀が存在していました。粟圀は粟族が、長圀は長族(即ち海人族)が住んでいたのです。粟族の中心地は名西山分の神領、長族の中心地は名…

眉山に神武天皇像がある理由

今回はさらっとダイジェスト的に流しますw モノクロ写真は明治時代の神武天皇像 神武天皇の銅像は日本に2体、阿波徳島と日向(宮崎県)のみしかなく、非常にめずらしいものだそうです。 日清戦争の記念として明治30年に建立され、銅像は高さ約6mほどありま…

大きな港の壹與を祀る神社(宅宮神社)

宅宮神社(えのみやじんじゃ) 徳島市上八万町上中筋に鎮座し、創祀年代不詳となっています。 そして「延喜式神名帳」阿波国名方郡の「意富門麻比売神社(おおとまひめじんじゃ)」(式内社)に比定されています。 余談ですがこの「意富門麻比賣」の神社名の…