awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大宜都比売命とその伴神にまつわる柄杓の秘密

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お久しゅうございます。awa-otokoです。ブログの更新は滞っておりましたがいろいろ調べてはおりました。

あ、そうそう。ブログ投稿をしていない期間にInstagramを始めたんです。最近はInstagramの投稿に注力している感じですね。(よかったら見てやって下さい。)

と、そんな近況はどうでもいいと思うので早速テーマについて進めましょう。さて、わたくしawa-otokoは発見してしまいました。(発見というより無理矢理落とし込んだという方が納得いく方が多かったりして。。。)

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前回投稿した上一宮大粟神社のA宮司さまが発信する目新しい情報から、個人的にいろいろ整合性が合わなくなった部分も出てきたので再度フィールドワークを再開していました。

f:id:awa-otoko:20191109220723j:image(野間妙見宮)
f:id:awa-otoko:20191109220714j:image(滝宮:天石門別豊玉比賣命祭祀)
f:id:awa-otoko:20191109220726j:image(粟神社: 大物主神、葦稲葉神祭祀)
f:id:awa-otoko:20191109220709j:image(葛倉宮:元えびす・大宜都比売命伴神の長 葛倉の神祭祀)
f:id:awa-otoko:20191109220717j:image(滝宮の奥)

まぁいろいろ周りましたわ。そして発見したのがこれ。↓↓↓

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わからんでしょ。(笑)

マップ上に不要な表示も含まれていますがそれは勘弁。(消し方がわからんかった。)とりあえず水色の勾玉みたいなやつを縦にしたようなマークに注目して下さい。因みに写真右側のコットンフィールド表示下のマークの位置はawa-otokoが調べている白桃妙見宮推定地です。意味なくマーキングしている訳ではないので悪しからず。(でも結構位置は重要なんですわ。)

 

ではでは進めまーす。

 

さっきの写真ではわからんのが当たり前。ということで判り易くしたのがこれ。↓↓↓

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何に見えます?

awa-otokoは北斗七星に見えるのです。いや絶対に北斗七星だろ⁈ ということで北斗七星こと柄杓を象る位置は大宜都比売命が降臨した際に付き従っていた伴神の宮が鎮座している位置となります。

さて、北斗七星から思い当たるのは妙見信仰ですがawa-otokoは妙見信仰については詳しくないのでネットから判り易い説明を引用させて頂きました。(ま、参考程度に見て。)

妙見信仰とは北極星または北斗七星を神格化した尊星王、北辰菩薩、北辰尊星妙見菩薩に対する信仰を指す。古代中国において北辰信仰は紀元前二千数百年前の「史記」にはすでに記録されており、七夕祭りのルーツである牽牛織女けんぎゅうしょくじょ伝説は、牧畜に携わる漢人たちの星辰信仰から渡来したといわれている。わが国の妙見信仰は複雑多岐にわたり、さまざまな信仰形態を持っているが特に密教の流れをくむ仏教や、山岳信仰との繋がりが深いといわれている。妙見信仰が日本に初めて伝わったのは六世紀ごろといわれ、インドで発祥した菩薩信仰と中国由来の北辰信仰が習合し、朝鮮半島を経由して伝播されたといわれている。

昔に大宜都比売命関連でも書きましたが阿波の国魂神 大宜都比売命の裔とされる粟飯原氏。中世では千葉(千波)氏として活躍をしていました。その千葉氏が信仰していたのも妙見信仰なのは有名ですよね。その名残りで神山町域で妙見神社が多い理由と(勝手に)考えていました。

偶然か必然か、古代からの粟神社・上一宮大粟神社を柄杓の中に入れて象った大宜都比売命の伴神の宮。そしてこのタイミングで上一宮大粟神社 A宮司さまの始祖であらせられます、阿閉御祖神の御神宝である柄杓も発見されたという奇跡?! 大宜都比売命にまつわる柄杓の秘密とは?!

ということでこれにてお終い。

大宜都比売命にまつわる北斗七星・柄杓の秘密については続報を待て!そして以降は大宜都比売命も祭祀したとされる原初の粟神 大物主神、その他上角八幡神社の浦島信仰もさらに追ってみたいと思います。

ではまた!o(・x・)/ ジュワッ