awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

貞光村の罪人六人塚

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今回は貞光番外編。以前に投稿した内容では西側の氣の流れが停滞して云々… いうておりましたが、貞光村の伝承から見つけてナルホド、あの陰の雰囲気の理由がわかりました。まぁさらっと流し読みできるように書いた(つもり)なので読んでみて下さいな。

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天正年間吉野川は現在の二倍ほどもあり、貞光村はいまの町の北半分がこの流れの底にあった。村は西山、東山の間に挟まれた窪地にあって、貞光駅前通りの鴻淵という地名もその名残りなのである。

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蜂須賀氏が阿波に入国して、いつの頃からか貞光村字◯◯の道路脇に「藤の森」という処刑場があった。奉行所で罪の決まった罪人はすべてそこで打首なったという。

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藤の森を含めた山一帯は国有林で、関係者以外は何人たりと立ち入りを禁止されていたが、この掟を破って山に入って木を伐採した貞光村に住む六人の男がいた。国有林は立ち入り禁止のため大木がたくさんあり、男たちが目をつけたのは中でも一際目立つトガの巨木だった。六人は毎晩藤の森に出かけては、番人に見つからぬよう巨木にノコギリを入れていた。だがやっとの思いで切り倒し時に山奉行である小野寺七郎右衛門に知られてしまうことになる。物音しない深夜に巨木が倒れたら、いかに深い眠りに入っていても目覚めぬ者はいないであろう。飛び起きた七郎右衛門は直ちに現場に駆けつけて六人の男達を捕まえたという。

f:id:awa-otoko:20180116222727j:image(貞光 野口城跡)
この六人の男達はこの藤の森で処刑された。村人たちは馬鹿げたことで命を捨てた六人ではあったが手厚く葬り、墓は思い出の藤の森の地に建ててやった。いまでも罪人六人塚と呼ばれて残っている。

f:id:awa-otoko:20180116222812j:image(西浦(野口)観音堂)

また、山奉行の小野寺七郎右衛門もこの罪人達を不憫に思ってか、切り倒されたトガの巨木を領主から貰い受け、荒れ果てた野口の城跡に観音堂を建立して、六人の男達の霊を慰めたという。この巨木一本で作られた観音堂は現在も残っている。その境内は小野寺家の墓地となっている。

罪人六人塚は… その境内の草木に覆われ、今は拝む者もなく、ひっそりと佇んでいるのみということである。(終)

f:id:awa-otoko:20180116223111j:image(罪人六人塚は見つけられなかったので謎の塚?をアップしておきます。)

貞光(野口)城跡がまさかの処刑場だったとは驚きでしょう。ちょっと暗い内容でしたが、埋もれた歴史の一端を掘り返し、その情報を持って現地に赴くのもまた一興。(今回の場所はちょっと寂しい場所だけど。)このようなマイナーな郷土ネタもちょくちょく挙げていきたいと思っています。( ´∀`)