awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

国造家ノ将、鬼籠野ニテ死ス。其跡ニ庚申塚置キタル也。

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暦應四年十月非道ニモ長宗兵力ヲ以粟國造家ヲ攻メ神録ヲ横領シ祭官職ヲ強奪セシ也。其證如何ト云ニ今神領村ノ隣村ナル鬼籠野村鬼籠野名ト云地ニ辻堂アリ。其傍ラニ周囲二丈許ノ杉大木アリ(其小祠ハ神佛混偖禁止ノ際ニ排除シテ其跡ニ庚申塚置)

里老口傳云此杉ノ木ハ昔ノ一宮合戦ノ時一宮方流落ノ士 高橋某運命谷リ此処ニ於テ主従切腹シテ亡ヒタリ、即チ杉大木ハ其基印ニテ小祠ハ霊ヲ祭リ供養石ハ塔婆也。今高橋七蔵ナル者ノ先祖ト云ヘリ(此近辺ニ高橋丹後守ト云靈ヲ祭リタル祠モアリ、同時ニ討死ノ人ナル可シ是モ神佛混偖禁止ノ際ニ取廃ス)

偖其一宮合戦ハ年暦ノ傳へハ無ケレドモ彼ノ供養石ヲ調査スルニ其數十一枚アリテ何レモ文字暦滅不明瞭ナル中ニ一枚文字明瞭ニ読ミヘキガ有リテ梵字三箇ト 六十月日先方三十三回ト細ク彫刻アリ依テ應安六年(康安モ有ドモ六年ノ暦ナシ)ヨリ送ニ三十三年ヲ遡リ笄フルニ彼ノ一宮合戦ハ暦應四年十月ノ事ト知ラレタリ。

はい。久しぶりに粟国造家のお話です。
時は南北朝時代大宜都比売命の神録を奪おうとする小笠原長宗。そして流れ落ちてきた高橋某とは神録強奪に抗う粟国造家 一宮宗成に属する将でした。
国造家が祖神より相伝した所領と祭官職を他族である小笠原氏に譲り与えるべき道理は無しと断固抵抗した粟国造家。国造家の一員であろう高橋某が家来と共に潔く切腹して果てた場所が当地であります。

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もともとは杉の大木があり、その傍には高橋某達を祀る祠があったそうですが、神仏分離令の際に排除されて代わりに庚申塚が置かれたとのことです。

f:id:awa-otoko:20170701211032j:image(写真でわかるように庚申塚は比較的新しく、基礎石?は年代が古く見えます。)

鬼籠野名は社地大粟山に路程近き場所であり、両軍にとって熾烈を極めた場所だったのでしょう。大粟山まで押し進めたい小笠原軍、くい止めたい粟国造家軍。当地(鬼籠野)付近の範囲で粟国造家軍は総崩れとなってしまったものと思われます。

このような状況からか、鬼籠野にはその他に供養石が十一基存在していたと記録には残ります。

f:id:awa-otoko:20170701211642j:image(この板碑も… )

f:id:awa-otoko:20170701211735j:image(鬼籠野神社にある一宮神社遥拝祠も… )

awa-otokoの想像の中では、鬼籠野神社が中一宮とされた理由の中に小笠原軍、粟国造家軍戦没者の霊を弔う意味も一端に含まれていたのではないかと考えています。

さて、このように明治に記録された粟国造家の古跡所在地が少しずつですがわかってきました。まだ他にも色々と発見があったのですが、この続きはまたの機会にしたいと思います。