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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

吉野に存在した悪女と戎の城

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西条戎台上に高櫓あり。その周囲に館構にて東西二百歩、南北百五十歩、その内外に濠を巡らし大樹あり、櫓の高さは弐丈五尺(約七、五㍍)ありき。

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阿波市吉野町、阿波九城に含まれた西条東城 別名 戎城(えびすじょう)であります。築城年は貞和二年(1364年)、城主は岡本美作守清宗(入道牧西)、森監物政国。戎台とされた場所は古城山と呼ばれた小高い丘でしたが、昭和初年頃に掘り崩されて今は見る影もありません。

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(篠原自遁亡き後の小少将について伝承は様々ありますが、西条東城の井戸に身を投じた伝承も存在します。)

西条東城は中央や地方で権政を誇った阿波細川、三好の時代、阿波の戦国争乱時代に女権を振った小少将が生まれ育った城として有名です。 

当時細川氏の寵臣であった岡本美作守清宗(入道牧西)の息女としてこの城で生まれ育った小少将は、細川讃岐守持隆、三好豊前守義賢の側室となって壮絶なる戦国の世にさまざまな風評語りの話題を巻き起こしたのであります。

さて、この西条東城の戎台が存在した付近には一条神社が鎮座しています。

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当社は天正年間四国兵乱のおりに火災に遭い、社殿、古書、宝物がことごとく灰になってしまったそうです。この一条神社、昔は雨蛙八幡と呼ばれていたそうです。

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(このカエル、佐那縣のシャクナゲで有名な寺で同じモノを見たことある… )

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雨蛙(アマガエル・天変える)と、戎城・戎台(なんで戎?えべっさんは事代主)。んー、怪しいんですよね。この付近も。当地から吉野川沿岸に西に行けば嚴(伊月)ノ事代主神社があるので、こちらの主が関係した聖地だったのかとも考えましたがちょっと情報が少な過ぎで確証が得られません。 

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一条神社に合祀された摂社の祭神も何かクセがあるというか…

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当地吉野町土御門上皇の伝説、大樹と古城跡がセットになって神社として存在しており、土御門上皇関連に関しては古代の天皇や神代の伝承との繋がりが見え隠れしています。

今回をアップするにあたって吉野町(ちょっと上板)の気になる場所をいろいろ調査してきたので次回を待て!!という訳で西条東城こと戎城、雨蛙八幡編はおしまいです。(ノ≧ڡ≦)てへぺろ