awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

高彦根山と弘法大師

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平安初期の延暦二三年、空海最澄遣唐使の船に便乗し中国の唐に渡った。最澄は翌年に帰国して比叡山延暦寺を開基し天台宗を広め、空海延暦二五年、年号が改元され大同元年となったこの年に帰国し真言宗を広めたのである。

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空海最澄と同じように宗の開基に際し、総本山を定めるべく各地を物色して回った。そして白羽の矢を立てたのが阿波国名方郡大粟山の高根山の高原であった。

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高根山は神代の昔に大国主神の御子とされる味祖高彦根(あじすきたかひこね)が開いた土地で、古代から当地は高彦根山と呼ばれていた聖なる山であった。総本山を開くにあたり、三千三百尺(約千㍍)の高地に八百と八の谷、八百と八の尾(尾とは尾根)を含めた数百町歩の広大な土地を使用することが原則であり、その条件が高根山山頂付近 通称ハゼの窪と呼ばれる場所にはずばり当てはまっていたようである。

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さて、空海にはいつも身辺につきまとう「天邪鬼」という怪異の者がいたそうで、空海が高根山へ総本山を建設すると決心した時に邪魔をして、谷をひとつ隠して八百と七の谷に変えてしまった。空海は仕方なく此の地を断念して他を探すことにしたが、天邪鬼にはギヤマンの水差しの中に封じ込めるという罰を与えた。弘法大師座像の横に置いてある器がそれである。
空海は再び適地を探す旅に出立し、やがて紀伊国高野山を最適の地と定め、弘仁七年「真言宗開基総本山高野山金剛峰寺」と号し信仰を広めた。この伝承については高根悲願寺の由緒書にも記されて今に伝わっている。こちらについては当山の飲料水が不十分であるため道場建設を諦めて高野山に開いたとされる。

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この説に付随しての伝説か、昔は大きな湖であった神領から流れる水が高根山麓の上角から青井夫方面に流れ泡となっていた「あぎのたお」を空海が掘り割った伝承も残されている。

高根山に限らず焼山寺付近でも空海伝説は数多く残されていることから、往時には空海ならびにその関係者が度々当地に訪れ何かしらの計画を立てていたことが推測される。
この伝説が真説であり、当時の治水工事がうまく進んでいれば、粟ノ国 神山神領の地において空海による真言宗大道場が開基され、阿波発心の道場も規模が大きく展開していたのかもしれない。