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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

阿波三國説から出てきた様々な推測

三好郡 勝浦郡 名東郡 名西郡 板野郡 美馬郡 那賀郡 阿波の伝説 阿波郡 麻植郡 海部郡 大宜都比売命 忌部氏 古文書

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以前に粟、長、麻植の起りを投稿をまとめた内容です。 もちろんソースの古文書は転載しましたが、とてもめんどくさいので訳してません。それでも良ければ読んでみて下さいね。(≧∇≦)

上古當国は大きく三國に分かれ有りしなるたし。即ち粟と云う縣、麻植と云う縣、長国なり。

f:id:awa-otoko:20161127223254j:image(粟國:上一宮大粟神社) 

その先ツ粟と云う縣は板野、阿波、名方(名東・名西)等の三郡なり。故にこの地の百姓を後に粟凡直と云ひしなるたし。

f:id:awa-otoko:20161127223330j:image(長國:勝占神社)

長国は那賀、勝浦、海部等の三郡より其端名方郡にかかりて有しなり。其れ那賀郡を長国の地なりし説論あり。海部郡は古くより那賀郡の内なりしを後に和射海部の二郷を割きて一郡を置れしなり。勝浦郡も長国の地にて有りし説に、勝浦郡の人民 長直(ながのあたい)姓なるを以て長国に由ある姓なり。今もこの郡の小松嶋浦中田村あり。この総称を千代と云へるは長国の長の名の残りにて千代と傳たれり。(千代の丸は長の丸の転訛なり)

f:id:awa-otoko:20161127223405j:image(麻植縣:高越神社)

残る処を麻植、美馬、三好等の三郡なり。上古麻植と云ふ縣なり。古語拾遺に”郡名爲麻植之縁”とあれとも神武天皇ノ朝の事を記したる條なり。考えるに郡制尢孝徳天皇朝になり。其以前に郡の称あらむされども實は郡に非るを郡を制定、後に郡字を當てて書きたるものなり。麻植と云ふ縣のありしを知るべし。

f:id:awa-otoko:20161127223615j:image(麻植縣:御所神社)

美馬三好を上古一郡の美馬郡なりしを割きて三好郡を置れしなり。古傳に忌部神社の祭禮に馬を美々敷して出せし由ゑ、郡名を美馬といふ由なり。

f:id:awa-otoko:20161127223724j:image(粟國:岡上神社)

長国や粟の縣の甚(いと)大きかりしを分ちて数郡置かれたるを思ひ合せてさとる如し。これ考て上古三國なるたしと云へるなり。但し大別を三國にして其中に小地名を多くありしなるにして三大社の大神等の神勲にてひらき給ひし外にも裔神、他の神等も由緒増して処々にてひらきせられしも多かる如し。
祖谷山も”ゑいらのみこ”のひらき給ひし地なりと云い、板野郡の名も葦稲葉神の御名より出たりと云ひ、生夷谷も蛭子大神のあられませし地なりと云フ傳への類、処々あるにて知るべし。 

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・粟國は大宜都比売命(とその裔)。
・長國は積羽事代主神(とその裔)。
・麻植縣こそ忌部國。天日鷲命(とその裔)が治めた國。 

awa-otokoは大宜都比売命天日鷲命大麻比古神が降臨し、国を運営した当初は粟國と麻植縣は元来一つの領域であったと考えています。時代を経て粟國から忌部國(麻植縣)が割れ出た謎をこれまで調査した内容と資料から推測してみたいと思います。 

本来、大宜都比売命天日鷲命大麻比古神は同系の神であり、粟國(板野、阿波、名方)と麻植縣(麻植、美馬、三好)は一つの領域だった。

大宜都比売命の治めた粟國の領域には板野郡が含まれます。その板野郡に拠点を構えたのは大麻比古神です。天日鷲命の御子であり、大宜都比売命降臨の際に伴ったと伝わる大麻比古神が板野郡を拠点としたのは、三神が共同運営した経緯があるが故だと考えるのです。この時系で本来の領域を考えるには粟凡直氏族の分布で考えなければなりません。後から付け足された忌部族というカテゴリーを大麻比古神にあてはめれば結論に詰まるのは必至なのです。

そして次に考えるのは本来粟國領域の中に含まれていた(と考える)麻植縣がなぜ独立したのか?ということです。粟國より割って出たのはもともと同族であった大宜都比売命一族(仮に粟族)と天日鷲命一族(仮に麻族)の中で争いが発生したのが理由ではないでしょうか。

 f:id:awa-otoko:20161127224419j:image(麻植縣:種穂神社)

 

大宜都比売命は粟で国を経営し、天日鷲命は麻による経営で範囲を拡大した。後に粟族と麻族で激しい衝突を繰り返し袂を分けるに到った。(大宜都比売命天照大神天日鷲命素戔嗚命に比定。) 

 

f:id:awa-otoko:20161127224457j:image(粟國:天石門別八倉比賣神社)

・初代 大宜都比売命と二代目 大宜都比売命は血の繋がりが薄く、別の部族(天石門別系(粟族)と伊豫 和多津美系(海人族)の違い)のために天日鷲命一族(麻族)と衝突した。(初代大宜都比売命卑弥呼、二代目大宜都比売命を壹与に比定。)

 f:id:awa-otoko:20161127224113j:image(粟國:大麻比古神社

忌部祭官家である早雲家の伝承では、大麻比古神は「猿田彦大神・岐の神」として神山神領、入田村、一宮村とも交流が深いことが記されている。この内容から 大麻比古神は二代目大宜都比売命とは比較的に友好的な立場をとり、板野郡を運営していた” のではないかと推測します。 大宜都比売命が忌部族と淡路島→→に渡っているのは大麻比古神が関与しているのではないかと考えてみたり。。。(淡路は阿波路。また「粟死の意」とかも… )

f:id:awa-otoko:20161127224853j:image大麻山:弥山神社)

という訳で、天日鷲命の御子という系譜、大麻比古という神名から麻の忌部族と決められてしまった大麻比古神。本当は粟で国を繁栄させた大宜都比売命と協力した功績や猿田彦・岐神として粟凡直一族が他国に渡る手引きをした等の功績から「阿波(粟)の一ノ宮」の称号が一時的に移されたのかもしれません。それがそのまま「阿波国一ノ宮」として定着した可能性が高いと考えました。

f:id:awa-otoko:20161127224158j:image一宮町:大麻比古神社) 

大宜都比売命のお膝下の一宮村に大麻比古神社の元宮が存在し、大麻比古神の領域である板野郡に大宜都比売命の御子である葦稲葉神が祭祀されているのをみても、大麻比古神と大宜都比売命には太いパイプがあったのではないかと推測します。

f:id:awa-otoko:20161127224246j:image(上板町:葦稲葉神社)

awa-otokoは大麻比古神を猿田彦大神とも比定しているのでそちらも調査継続していきたいと考えています。 

さて、結論的には昔から様々な意見があった阿波三國説。忌部国は存在したという考えです。総体的に考えれば粟國と長國も積羽八重事代主命大宜都比売命の婚姻関係を含めれば同系であり、様々な視点と解釈の相違によって見解が変わるので決めつけは難しいです。まぁどの時代で考えるかですね。

今回はここまで。興味ある方は各々で結論を考えてみてください〜。\( 'ω')/