awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

一宮家のルーツ‼︎ 大通寺良蔵院とは⁈

f:id:awa-otoko:20161122001922j:image神領上角川)

何かと忙しくていつもより投稿の間が空いてしまいました。「年末にかけてこの忙しさは何なんだ!(*_*) 」ということで、投稿できるタイミングの今、まだ誰も知らないと思われる情報をリークしておこうと思いますw

 

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一宮氏祖 小笠原宮内大輔は小笠原長清の従弟なり。上総八郎廣常と縁あり依而小笠原弾正少弼長利 千葉家懇意ヲナス弾正男子ナク弥太郎養子トス 鎌倉三代将軍 実朝卿ヨリ健保六寅年八月従四位下ニ任ス貞慶弐未年三月源頼経将軍 執権北条泰時ヨリ四国ノ守護職に居置ル弾正 神領江隠居シテ修験者大通寺正覺院ト縁ヲ結国造家相続スル。太粟姫尊国造勤メ玉フ云〃
各弐家古系図ニハ小笠原弾正長利国造家相続と志るしなれども是ハ傳への誤りにて国造家相続ハ宮内大輔長宗實なるべし。

 

弾正の代に神領に隠居して正覺院と縁を結び、当地にて宗家の代祭を執り行ったことを国造家相続として誤写されたとあり、弾正という名称も各代に継承されていることから、系図を作成した際に文飾して長利とされたと記されています。粟国造家相続、即ち「小笠原上一宮大明神」は、「小笠原宮内大輔長宗」からということらしいです。

 

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神領大久保)

因云、大通寺正覺院ハ今上角名大通寺良蔵院といふ院内一派の修験あり。一宮城主小笠原氏と縁を組しこと今に此村に言い伝へあり。又小笠原氏隠居家なりと云ふ説もあり。良蔵院は古くより一宮の子孫と言傳へて近年長門守の位牌を造せり。按にこの一宮子孫といふ事に考ふべき事あり。小笠原氏と縁を組しにて言出したるにハあらず往古一宮といひしハ今の一宮村の社にはあらず。上一宮大明神を諸人一宮と申奉しその後にて近きにあたりハおのずある地名の如くを言しなるべし。大通寺ハ其地の大家にて小笠原氏と縁を組し程なればあたりに並ぶ家なく余りありて一宮と云えハ大通寺言い彼家のこととなりし也。一宮を姓の如く諸人唱へ来しを古くより一宮子孫と言傳へしなるべし。この家近年焼失して何も古き記録なし。

f:id:awa-otoko:20161122002248j:image神領上角谷)


はい。昔に大粟山の麓、上角川の流れる近くに大通寺という寺があり、その大通寺には良蔵院一派「正覺院」と名乗る修験者が存在していたそうです。この「正覺院」は粟国造家の裔であり、大宜都比売命を祭祀してきた家柄であったのはいうまでもありません。(のちに小笠原家と交わり小笠原家隠居家とも。)

f:id:awa-otoko:20161122002324j:image(大粟山 天辺ヶ丸祠)

f:id:awa-otoko:20161122002337j:image(天辺ヶ丸)


書き記された内容では、神領の地に「一宮」と呼ばれた地がもともと存在していたそうで、「上一宮小笠原大明神」はその地名から採用されたようです。(田口大明神とは別なんでしょうね。小笠原家が入ったから上一宮小笠原大明神。)

さらに書けば大通寺(国造家)があった場所が「一宮」と呼ばれた地名だったようです。(粟:阿波一宮を祭祀したから一宮の地名ができたのか、姓ができたのか前後関係は不明。)

ということで、上一宮小笠原大明神から分祀された一宮村 一宮大明神のルーツも神領村大通寺が存在していた一宮からという事になりますよね。小笠原家から一宮の姓を採用し、家が別れたのも同じ理由からなのではないでしょうか。上一宮大粟神社と下一宮神社が分かれた理由もここにあり!ということです。 

awa-otokoは大通寺が存在した位置はあらかた掴んでいます。所在地のヒントは文中に点在させてあるので気になった方は調査してみては如何でしょうか?ニヤ(・∀・)ニヤ

大宜都比売命、その裔である粟国造家や粟凡直一族。調べると次々と驚きの事実が出てきます。この他にもまだまだ書きたいことがありますがとても長くなりそうなので今回はこのへんで。。。

 

あ、最後に。。。

粟国造家であった小笠原系一宮氏は、現在の(一般的?な)阿波の一宮姓とは繋がりがほとんどないそうです。「混同せざること!」と書物にあったので書いておきまーす。