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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

鬼籠野神社は中一宮大粟神社だったのか?

名西郡 名東郡 明神、大明神、権現、大権現 神の坐す場所 阿波の伝説 阿波の神社巡り 大宜都比売命 古文書

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中一宮大粟神社とは現在の神山町鬼籠野に鎮座している「鬼籠野神社」のことを指している。と、されております。

 


鬼籠野神社の祭神は大日霊尊・金山彦命・埴安姫命・カグツチ命・ククヌチ命・ミズハノメ命・国常立命の六柱。宝治二年(1248)八月八日神領村大粟神社の分霊を奉祀すると伝えられ、中一宮大明神と称し、神領村に在るを上一宮、名東郡に在るを下一宮と称する故、此の社を中一宮と称したのであろうと推測されています。

 

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これまで上一宮(大粟神社)、下一宮(一宮神社)については大宜都比売命のカテゴリーで多々ご紹介していますが、この鬼籠野神社についてはほぼ写真の掲載のみで詳しくは紹介しておりません。理由は…

「中一宮」という存在に疑問を感じていたからです。

【個人的に疑問を感じていた部分】


・中一宮と伝わる鬼籠野神社の社位置は上一宮大粟神社の鎮座地からに近過ぎる。


佐那河内村と神山村の境界付近に鎮座している。(当初は両村の塞の神の役割?)


大宜都比売命が祭祀されていないっぽい。(鬼籠野神社には大宜都比売命の気配が感じられない。現に主祭神は大日孁神。※注:あくまで個人的な感覚です。


・一宮神社の遥拝所(祠)は存在するが上一宮大粟神社の遥拝所はない。(一宮神社の遥拝所は後から造った可能性も…)


・鬼籠野村の伝承は様々な伝承が複合され、宗教・祭祀に関して絞り込みにくい。

 

その他にも気になるところは色々ありますが、大まかには上記の内容が気になっておりました。という訳で、古文書の記述から謎解きをしてみようと思います。

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上一宮大粟神社は一宮大明神の本社であり、昔一宮村は以西にて今の神領村を上一宮、鬼籠野村を中一宮、今の一宮村を下一宮として伝えている。阿川村二宮八幡宮にて大般若経の奥書に上一宮長法寺とあり、即ち長法寺廃寺の跡は今の神領村のことを指していた。神領村には長法寺といい小庵があり、廃寺に大なる本尊を安置していたと伝わる。
この上一宮、中一宮両村を合わして神領村といい、慶長御検地帳の記録には「鬼籠野は神領村の小名にて小路野と書せり」とある。其の後神領村と一宮村の境目が明確になり、一宮村赤坂名の上大人という地は鬼籠野村と一宮村両村の境にあたる。また弓折名(鬼籠野 一ノ坂)黒川名に椙尾大明神の社があった。これは「矢野村の椙尾大明神の氏地にて… 」、とあり、現在の天石門別八倉比賣神社の社領が及んでいたと推測される。
よって大粟姫尊の御神領は、神領・鬼籠野・上山左右内の範囲であったと考えられる。

 

はい。こちら大粟姫尊考証を現代訳した内容の一部です。管理人の私が疑問に感じる部分に関係する箇所を抜粋してみました。

 

・もともとは鬼籠野は小路野。神領村の一部だった。


・一宮村と神領村の境に位置する。(佐那河内村は記載なし)


・矢野村 椙尾大明神の社領(椙尾神社)が鬼籠野に鎮座。

 

そもそも同じ神領村だった鬼籠野神社の位置に中一宮を設定した意味を見出せません。祠は存在したのかもしれませんが、本来は遥拝所の役割だったのではないかと推測します。
また、神山神領村の古文書には麻植郡の記載はあっても真横に位置する佐那河内村についての記載はほとんど見られず、宗教・文化において何らかの隔たりがあったのではないかとも推測しています。

 

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気にかかるのは椙尾大明神の存在…

何故に矢野村 椙尾大明神の社域が鬼籠野に存在するのか。。。

鬼籠野神社の祭神が大宜都比売命(大粟姫尊)ではなく、大日孁神という部分でこちらが大きな意味を持っているのかもしれません。
一宮大明神が一宮氏によって下一宮に設定される以前に矢野村 椙尾大明神(現 天石門別八倉比賣神社)として存在しており、その前身は天石門別豊玉比賣神社であると以前に書きました。

 


さらにその元社は…
佐那河内村に鎮座する天岩戸別神社。

現在も阿波古代史を追う方の一部は天岩戸別神社が天石門別豊玉比賣神社の元社であるということに確信を持っている方は少なくなく、そしてそれを伝える佐那河内村の大宮神社の祭神は品陀和気命(応神天皇)。間違いなく大宮賣、または大日孁神より祭神を変えられております。

 

 

それを継承した(または分祀した)のも矢野村 椙尾大明神こと天石門別八倉比賣神社。いや、鬼籠野村にある椙尾大明神は佐那河内村から直に分祀された社の可能性さえも考えられます。

 

椙尾大明神と鬼籠野神社の祭神が混同されている可能性があり、鬼籠野神社は佐那河内村分祀の天石門別豊玉比賣命ではなかったのか。。。


と、いう訳で長々と個人的見解を述べてしまいましたが、時代が下るに従って祭神の混同や伝承の受け間違いなどを経て、神山村の大宜都比売命祭祀と佐那河内村(国府矢野村含む)の豊玉比賣祭祀が混同された状態のまま中一宮大粟神社として祭祀されたのではないでしょうか。

 

f:id:awa-otoko:20160904212552j:image(鬼籠野神社境内に残る一宮大明神の遥拝祠)

 

こればかりは昔の文献から証拠がでるまで確定することはできません。これからの岩戸開きに期待しながらawa-otokoの調査はさらに続くのであります。(笑)