awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

三日月と女(大宜都比売命の神裔)

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三日月家は大宜都比売命の神裔にして其先國造を勤む暦應四年國造宗成の代に至り一宮城主長門守成助の元祖 小笠原宮内大輔長宗の為に祭官新録の地を掠奪せられ祖神に奉仕することは能はずして退轉し相傳の職祿を失ひ上山地頭と爲るり
粟飯原家系圖に曰く大宜都比売命に粟飯を炊き神供と爲せしより粟飯原の氏を冐せりと、其三日月と稱する起因は大祖月読尊に繋る傳説にして三日月家仝族のものは古来より兎狩りと爲し又兎肉と食することを禁制せり、
仝家は代々男子生れ其血統連綿として繼承し斷續することなし家主と爲るべきものには必ず身體に三日月形の痕跡ありと謂ふ即ち之三日月家と稱する所以にして其名籍甚せる名門たり
蜂須賀家入國の際は政所たるの家格なりしに其後組頭となり累世其職を襲き大守に忠勤と盡 し御目見へと爲り郷高取となれり。

三日月家と呼ばれた粟飯原氏でございます。
最近、拙ブログにも検索サイトから「粟飯原氏」「三日月家」などのキーワードで訪れ閲覧して頂くことが多く、管理人としても大宜都比売命の真っ当なる神裔として粟飯原家をピックアップしてきました。

しかし!!神代の昔より大宜都比売命をサポートしてきた氏族は、粟飯原家・一宮(小笠原)家だけではございません。

f:id:awa-otoko:20160831232214j:image(一宮城主を祀る若宮社)

f:id:awa-otoko:20160831233713j:image(粟飯原家祖神を祀る妙見社)


もちろん大宜都比売命を追うにあたって粟飯原氏の歴史を調査することは避けて通れませんが、同じくらい重要な位置する氏族が存在します。

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f:id:awa-otoko:20160831232244j:image上一宮大粟神社

上一宮大粟神社の神官である阿部氏の系譜。

阿部氏は神代より大宜都比売命を奉仕してきた神裔なのでございます。

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f:id:awa-otoko:20160831232307j:image上一宮大粟神社 一ノ鳥居とニノ鳥居)

 

阿部氏は大粟姫尊(大宜都比売命)が八柱の随神を連れ、丹生ヶ山の御馬原に降臨してからの側近中の側近であり、現在でいう執事の役割を担っていました。

f:id:awa-otoko:20160831232336j:image大宜都比売命降臨の地に佇む御馬石)

 

本来、大粟山周辺で仙事に携わっていた阿部氏は、大粟姫尊が降臨した際に山中で居合わせた際に姫たちに食べ物を提供し、そのまま大粟姫尊に仕えたと伝えられています。

阿部氏 大粟姫尊神裔にて神代より大御食主となりて仕奉しなるべし(大粟姫尊考証より)

阿波の南方から深い深い山中を抜け、疲労困憊だった大宜都比売命達に食べ物を提供した阿部氏の暖かい人柄に惚れたのか、当地(大粟山)に根を下ろし開拓するにあたり地理条件に詳しい側近を欲していたのか解る術はありませんが、主従関係が成立したのは何かしら双方に利があることであったのでしょう。

大粟姫尊考証では

「阿波女神社、此神の氏人を阿波女氏と伝えしを以て古くより阿部氏と得る」と記されております。

この内容からは

「阿波女(あわめ)氏 = 阿部(あべ)氏」という内容を指しているほか考えられません。

 大宜都比売命の祭祀権を粟凡直一族から奪った一宮(小笠原)氏は大宜都比売命神領を上一宮(大粟神社)、(中一宮:鬼籠野神社)、下一宮(一宮神社)に別けた際に本元である上一宮に大宜都比売命祭祀の全てを知る阿波女氏こと阿部氏を置き、現在まで祭祀を継承させたのではないでしょうか。

f:id:awa-otoko:20160831233513j:image(天辺ヶ丸に鎮座する上一宮大粟神社の元社)

f:id:awa-otoko:20160831233525j:image(天辺ヶ丸から望む栗生野)

現在、阿波女社祖系の系譜(系図)は出てきたものの、阿波女社を司った「阿波女氏」の記録や情報は一切出てきておりません。

 

 


大粟姫尊考証でいう「阿波女(あわめ)氏 = 阿部(あべ)氏」が真の内容であれば現在、上一宮大粟神社の神官が阿部氏であるという状況にも説明が付くのです。
まだまだ阿部氏が阿波女社祖系宮主家であるという証拠は足りません。まだまだ気にかかる部分もありますので調査は継続していきたいと思います。。。

あ、粟飯原氏もね。(笑)