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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

六根清浄(剣山例大祭)

明神、大明神、権現、大権現 神の坐す場所 平家 忌部氏 麻植郡 美馬郡

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天照皇太神の宣く人は則天下の神物なり。須掌静謐心は則神明との本主たり。莫令心神是故に諸の不浄を見て心に諸の不浄を不見耳に諸の不浄を聞て心に諸の不浄不聞鼻に不浄を嗅て心に諸の不浄を不嗅口にて諸の不浄を言て心に諸の不浄を不言身に諸の不浄を触て心に諸の不浄を不触意に諸の不浄を思ひて心に諸の不浄を不想此時に清潔よき偈あり。

諸の法は影と像の如し 清く浄れば仮にも穢こと無し。説を取ば不可得皆花よりぞ木実とは生る我身は則六根清浄なり。六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり。五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり。 天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり。万物の霊と同体なるが故に為所無願而不成就矣無上霊宝宝道加持

(六根清浄大祓)

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剣山は山岳信仰の対象とされ、古くから信者たちは厳しい行場修行を積んできた。毎年7月中旬に行われる剣山本宮例大祭では各地から信者たちが駆けつけ、クマザサに覆われた山頂を神輿を担いで勇壮に練り歩き、国土安穏を祈願している。

その神事に参加する者達が唱える「六根清浄」とは?

六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。

六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である

眼根(視覚)
耳根(聴覚)
鼻根(嗅覚)
舌根(味覚)
身根(触覚)
意根(意識)
のことである。

六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。「六根浄」ともいう。(Wikipediaより)

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神輿渡御当日は安徳天皇と素盞男命の御分霊を宝蔵石神社の社殿で神輿に遷す神事を行う。その後、神社を出発して山頂を目指す。クマザサが一面に生い茂るなだらかな「平家の馬場」を、神輿を担ぐ講の者、ホラ貝や神器を持つ者、平家一門のシンボルである赤旗を持つ人、さらに崇敬者が縄を引いて付き従い、「六根清浄」と、心身を清める詞を唱えながら進む。赤旗を捧げ、頂上まで共に六根清浄を唱えながら歩き神輿のお供をされると、心身を清める修行になり、運気向上の導きがあるとされている。

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この神輿渡御の行為については安徳天皇率いる平家一族が忌部氏に祭祀を委ね、素盞男命に平家再興の祈願を行ったさまを再現していると考えます。

そもそもひと昔は木屋平 森遠の平家末裔も神事に参加していたといいます。(現在は高齢化と住民の減少により参加していない。)

このように平家の一族は五感の清浄とシックスセンスを研ぎ澄ませ、荒ぶる神である素盞男命を祭祀することによって再興を図ろうとしたのであります。

因みにこの中世に起きた源平合戦からの敗北をきした平家が堕ち、平家再興の目論みによって剣山、木屋平忌部氏が進出してきたきっかけではなかったのかとも考えております。(剣山における素盞男命祭祀はもっと古いですが。)


今回は神事の参加で六根清浄して疲労困憊ですのでこのへんで締めたいと思います。オマケで円福寺の御護摩焚きの写真をご覧ください。

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剣山本宮例大祭のあと、見ノ越にある円福寺にて行われる行事です。こちらも迫力があって見応え大いに有りです。こちらは寺ですから不動明王への祈願ですが、根元は素盞男命だと思います。(たぶん。)