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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

田口氏の祖先は武内宿禰!?

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或記に云、武内宿禰之後胤阿波真人広記(天智天皇御宇の人)十二代之後孫阿波助国風(朱雀天皇御宇之人)其の子桜間文治行直其後十代桜間外記太夫良連子無為以甥良遠子桜間助是也而良遠之兄成良阿波民部号勝浦郡之城主也 成良之子伝内左衛門成直(一名教良)号 源平八島合戦之時成良真随従義経云々。(勝浦郡城者今田林寺境内也云)

最近追っております田口民部成良こと粟田口成良の祖先を遡れば武内宿禰にあたるとされた古文書が存在するみたいです。或記とは何なんでしょうか。とても興味が湧きます。

さて、上記内容を現代文にしたものが阿波学会研究紀要にございましてこちらより引用させて頂きます。(ひじょーにありがたいですな。私は漢文とか古文書を訳すとすぐ眠くなりますから。。。)

武内宿禰の末裔の阿波真人広純斉明天皇の白雉四年(658)に阿波国司として着任した。真人の末裔の田口(たのくち)氏が阿波に住みつくようになったのはいつの頃かわからないが田口息継は大同3年(808)5月に阿波国司に任ぜられている。田口氏は桜間に居て田口または桜間(さくらま)を名乗り、息継の何代か後の阿波介国風は桜間にいて、阿波国統治につとめ、その子文治直行は桜間の防備を整え、承平天慶(931~947)の頃、西海を乱した藤原純友が讃岐・阿波に侵入したのを迎え撃ったといわれる。直行は桜間を名乗って阿波を統治し、その子孫も代々その職を継ぎ、それより十代の桜間外記大夫良連まで桜間を名乗ったが、良連の跡を継いだ良連の甥成良(しげよし)は田口を名乗り武威を誇った。成良は安徳天皇の寿永元年(1182)正月阿波守となり、ついで民部大輔に補せられて阿波大輔と称し、吉野川下流の肥沃な沖積平野を占有して、「財甲充ち、兵馬も頗る充実し、その勢力は板野郡から勝浦郡地方にも伸び」と徳島県史にもあり、その弟桜間ノ介良遠は勝浦本庄に城を築いて蟠居していたので、当時の阿波における最大の勢力として知られていた。(阿波学会研究紀要より)

これによれば武内宿禰の末裔である田口一族は阿波国の名方郡(名東・名西)と板野郡、勝浦郡を拠点としていたことが分かります。

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(国府町と石井町の境にある田口息継の祠)

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上一宮大粟神社

まず名方郡では国府町桜間池周辺から神山町神領の範囲になります。こちらは以前から説明しているように上一宮大粟神社を中心とした中社、下社による大宜都比売命の祭祀であり、田口氏の血も分けていると思われる粟飯原氏が継承していたのではないかというところです。(田口氏も含めて粟凡直一族という見解からのお話)

 

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板野町 岡上神社)

そして板野郡では粟凡直一族によって岡上神社にて倉稲魂(うかのみたま:大宜都比売命の分霊)を祭祀しているのもまた周知されている内容。今回のメインでもある武内宿禰も含めれば矢武八幡神社で祭祀が継続されているのもご存知の方は多いのではないでしょうか。

 

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勝浦町大宮八幡神社

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(大宮八幡神社祭殿)

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(本殿はもちろん朱の色ですな。)

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境内社 武内神社)

勝浦郡では田林寺(丈六寺近辺)熊山に拠点があったとのことで、勝浦川の北岸にかけて大粟氏が氏子で大宮八幡神社が鎮座しております。また驚くことに境内社には武内宿禰を祀る「武内神社」が存在します。たしか高良神社もありましたよね。勝浦川沿いに。

 

以前にぐーたら氏から聞いた内容がございます。

「大粟神社 大宮司家であった田口氏は武内宿禰に繋がる。」と…

話を聞いた時は私自身、あまりぴんとこなかったのですが以下の内容からなるほどと思いました。

「千」波足泥(畠多神=秦氏)と考えるのは当然の帰結と思えますが、畠多神、あるいは波多氏の系統として武内宿禰を想定することも可能かと思っております。
ご存知のように「波多矢代宿禰」は孝元天皇の孫「建内宿禰」の長子であり「波多朝臣」の祖でありますが、この系はあくまで蘇我氏、葛城氏の系統であり、秦氏とは別物であると考えております。
石井町に曽我氏神社があり蘇我氏を祀り、石川神社に石川麻呂を祀り、鳴門市に葛城神社、そして徳島市眉山、以の山(眉山)の西の耳原、亀の甲羅の形をした小峰にあるのが「以の山 甲羅峯」であり、あるいは武内宿禰の墓陵との説もあります。
阿波には結構、武内宿禰の痕跡じみたものが多く、これも一説には上板町で死去したとの伝承も残っているようです。(ぐーたら氏facebook記載文からの引用)

 ※ぐーたら氏、勝手に掲載したけど怒らないで… (・_・;

 

阿波での武内宿禰を祭祀する古跡より粟凡直一族の関わり、また中世氏族との繋がりを見いだして氏族の伝播を調査することで新しい事柄が浮上してくるように思います。

以前は粟凡直一族をはじめとする古代氏族の調査ばかりしていましたがその流れをくむ中世氏族の動向も見逃せません。少しずつですが田口氏から大宜都比売命武内宿禰の痕跡が出てきました。現在調査中なのは◯◯の◯◯氏族と田口氏の関わり。(すぐネタをパクる奴がおるから言わんぞ=3)


ちょっとこちらは時間がかかりそうですが、お宝の内容が出てくる可能性が高いです。期待せずに暫しのお待ちを。
出せる内容が見つかるまではあっちこっち色んなカテゴリーから掻い摘んで阿波の埋もれた秘密を紹介していきまーす。それでは今回はこのへんで お・わ・り 。