awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

粟凡直粲胤 粟飯原家略傳を見よ!!

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速報!!
明治十年に粟飯原与一こと粟凡直粲胤が記録した「粟飯原家略傳」を入手しました。これまでアップしてきた粟飯原家の伝承内容と重複する部分はありますが、粟凡直の姓で自らの家伝を記したこの古文書を読めば上山神領村の素晴らしい歴史と粟飯原家の格の高さは把握できるはず。
早速原文を書き下しましたので興味のある方はご覧頂ければと思います。
 
と、その前に…
古文書は入手先から掲載の許可を戴いておりません。よって表紙と一頁、巻末頁の掲載とさせて頂きますのでご了承下さい。
 
はい。それでは当古文書を記録した粟飯原与一について先に紹介しておきます。
 
◼︎粟飯原与一
粟飯原家九代目の庄太夫の長男として嘉永三年に誕生した。幼名荒太郎。新蔵院宥照、新居水竹に師事し、明治元年には庄屋取締役に就任している。明治七年には上分上山村村長を歴任した。
 
傍らで地域と家の歴史研究にも力を注いでおり、黒松八幡神社の研究、粟飯原家の歴史と家系図の作成がそれである。与一の研究の成果は上分上山村小風土記に記録されている。
そして近年、注目されるべき粟飯原家文書の散逸が免れたのは与一の功績が大きい。全国的に地域誌を書き残すことを積極的に行っていた時代であったことも幸いしたようである。
出自である粟飯原家の歴史と上山の歴史が記された古文書が今になって表に出てきたのは、与一が後裔に伝えるべく多くの研究資料を作成・保管していたことが理由に挙げられる。
当時の評判はこれまで確認した粟飯原家の内容が表だってないことから流されていたことが推測される。
 
それでは確認頂きましょう。
 
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粟凡直粲胤 粟飯原家略傳
 
粟飯原ハ本姓粟凡直姓ニシテ即粟国造家ナリ 遠ツ祖ハ言巻モ尊キヤ粟国魂大宜都比売命ト申テ国開闢之大神ニオハシ坐テ所謂名方郡天石門別八倉比賣神社大月次新嘗ノ御神ニ坐ス也
 
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元暦二年三月三日神階ヲ極タマイテ正一宮大明神ト申ス 是粟国造粟凡直 粟宿祢等之遠祖 板野阿波名東名西等四郡之氏神 故ニ當国ノ一宮尊ミ敬ヒ奉リテ今名西郡神領大粟山ニ鎮坐ス一宮大神是也
 
昔ハ神録ヲ一宮領ト唱へ地名ヲ上一宮下一宮ト唱へ又御社ヨリ上ヲ上山ト云下ヲ下山ト云 則上一宮ノ地ハ近昔マテ神禄ニ残リテ有シユエ神領分ト云フ 後ニ神領村ト改ム亦下一宮ハ今ノ一宮村也 其地ニ在ル御社ハ分祭也 
 
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此大神ハ天石門別ノ神之女ニ㘴テ斯ル彌重タリ幽谷ニ鎮リ㘴スヲ以テ天石門別八倉比賣神ト申ス 積羽八重事代主神之后神ニ㘴ス也 神代ニ伊勢国丹生ヨリ當国ニ移ラセ給ヒテ大麻比古神種穂神ト共ニ一国ヲ経営ナシ給之時始テ粟ヲ蒔キ給ヒシ神勲ノ某大ナルヲ以テ故ニ御名ヲ大宜都比売命 亦ノ御名ヲ大阿波比賣命ト美称奉リテ其粟ヲ蒔キ給ヒシ地ヲ大粟山 亦名粟生山ト云ヒ其縣之地ヲ分割テ数郡ヲ置キ本処ハ名方郡ト云フ
 
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御子神葦稲葉ノ神ノ㘴ス地ハ板野郡ト云フ残地ニ古名残リテ阿波郡ト云フ又其名方郡ヲ分割シテ名方東郡名方西郡ト云フ 今ノ名東名西ニ郡ナリ 故ニ大粟山ハ今名西郡ナレトモ国号ノ起リシ地ニテ開主大宜都比売神賜リ㘴テ粟国魂神ト尊ミ敬ヒ奉ルナリ
 
斯ル甚キ神勲ノオハシ㘴スヲ以テ軽嶋豊明宮ノ朝ニ神裔千波足尼ヲ以テ粟国造ニ定賜フ 神護景雲元年三月本姓ヲ粟凡直トス 続日本紀延暦ニ年ニ月甲辰阿波人正六位上粟凡直豊穂任国造トアルカ如モ本姓粟凡直姓ナリ
 
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丗々国造職ヲ襲キ大神ニ仕奉リ来リシカ国造宗成ノ時ニ代リテ暦應四年十月一宮城主小笠原宮内大輔 長宗ノ時ニ神禄一宮鎮守祭官職ハ奪ハレテ祖神ニ仕奉ル事ヲ退辞セシナリ 
 
世時ニ至リテ終ニ相傳ノ職禄ヲ失フ 後子孫天正年中マテハ上山村ヲ領シ千葉氏ヲ称シセリ 神勲ノ上寳ヲ傳へ丗々粟飯ヲ炊キテ神供トナス 粟飯ヲ炊キシ地ヲ粟飯原ト云フ故ニ粟飯原殿ト称ス 後ニ千葉氏ヲ改メテ粟飯原氏ヲ称スルハ之縁ルナリ
 
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其後土佐国長曾我部氏當国へ乱入ノ際麻植郡大浦村木屋平ノ為ニ所領盡リ没収セラル尋テ蜂須賀家當国ヲ領シ後ハ民間へ遺テ入ニ今ノ如シ 此等ノ古傳アリト聞モ委細ニハ出ニ盡シ難シ 概略ヲ記ルス而シ
 
明治十年八月
粲胤謹記
 
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大宜都比売命」、「粟ノ国」、「一宮」、「粟国造 粟凡直」、「千波足尼」、「粟飯原家」、「千葉氏」。これらのキーワードがこの一冊の中で繋がりました。個人的には粟飯原与一氏が粟凡直の姓で記録しているのは自信と誇りをもって真実の表明を後世に伝えるためは勿論のこと、「粟凡直」というワードをアイキャッチとして使用したかったのではなかったのでしょうか。(粟凡直を調べれば大宜都比売命、千波足尼の繋がりが見出せます。また神山 神領地区の歴史も出てくるからです。)
意図がなければ明治時代に古代の姓、「粟凡直」は名乗れませんよね。
 
とうとう大宜都比売命の真の御姿を封印していた天石門(あめのいわと)が大きく開かれはじめました。
もうそろそろ資料の内容に変化を見出せなければ調査が立ち止まること必至。資料の出処を変え、新たな解釈と発見を探しながら進めたいと思っています。