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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

驚愕の事実だったよ 剣山大権現縁起(実地調査Ver)

明神、大明神、権現、大権現 神の坐す場所 空海の足跡 阿波の伝説 麻植郡 忌部氏 古文書
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はい。以前にUPした剣山大権現縁起に肉付けするべく利剣山 藤之池龍光寺に参拝して参りました。

 

いやぁ〜、半端ない雰囲気の中で龍光寺の境内をくまなく確認させて頂きました。
ただ、、、龍光寺に参拝する前には剣山登山。
GWで見ノ越の無料駐車場は第一、第二と満杯。2km下の駐車場から剣山頂上まで徒歩登山した後だったので時間も体力も少なく、龍光寺上の剣山本宮を参拝し忘れるという失態を犯してしまいました。後悔極まりなく…  ま、いいか。次がある。
 
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さて、天叢雲の宝剣に見立てた利剣山の由来。大剣神社の御神体です。そもそも剣山の名称はこの磐座の下に安徳天皇が宝剣を奉納したのが由来。剣から湧き出る御神水(おしきみず)、とても美味しゅうございました。
 
 
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次郎もこの通りお見事な眺望。本当は次郎から見た太郎(剣山)が好きなんですが体力的なことも考えて今回は次郎登頂はパス。だって片道1時間は必要ですから。
 
 
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頂上に到着。宝蔵石下の剣山本宮は参拝。夏は龍光寺付近の剣山本宮から御神体を移している場所でスサノオの御魂所というべき場所ですね。
剣山は神代から崇敬を集める聖地で行基役小角空海が巡礼。特に空海が八十八箇所開基の折に剣山を開いて有名になったようです。のちに紀貫之西行なども登山したことが伝説として残っております。紀貫之スサノオを。西行は麻植氏の系譜ですから天日鷲命を拝みに来たって感じでしょうか。

 

 
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久しぶりに行場に行こうとか考えてましたが崩落、落石により行場に行く道は通行禁止。止む無く刀掛けの松経由で西島駅(ロープウェイ駅)を目指します。
 
(ここだけの話)
そもそも安徳天皇がなぜ剣山を目指したのか?
スサノオを古来より祭祀してきた松家(まつか)氏を頼って来たのではないのかと… 

 

 

伝承では木屋平森遠付近に小屋の内裏を設け、そこから興ったのが小屋平氏。のちの松家氏であります。安徳天皇一行が松家氏を頼りにして木屋平村に向かうのは時系列的にありえない事なんですが、私見では松家平氏の同氏族が現地を統治していたのではないかと考えています。(最近聞いた話では○木氏は後から木屋平村に入った。時の権力者からの差し金で統治者となったとか… (ヤバっ。これ以上は書けない))
だ、か、ら、松家氏(の原型になる同氏族)が治めた剣山麓の南木屋平エリアは神代の時代からスサノオ尊(八坂、牛頭天王)や不動明王の祭祀が中心なのでしょう。
 
 
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さて、西島駅から見ノ越に下りてきました。
現在では見ノ越が剣山登山の玄関口ですが、古来は藤之池が表参道でした。見ノ越は祖谷側参道で言わば裏参道。山津波による藤之池の被害は甚大で見ノ越の開発が進められたのが結果です。

 
よっしゃ。
とりあえず表玄関は確認しとかねば。垢離取(コリトリ)目指して下ります。

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垢離取川に掛かる垢離取橋を渡ってどんどん登って行きます。
途中、大きな落石が道を阻めたり写真のような倒木もあり。。。車での進入は困難を極めましたが、時間が夕刻だった事、崩落工事が完了していたことで対向車がいなかったことが幸いしました。
龍光寺の門までなんとか到着。
 
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龍光寺境内には興味深いものが沢山存在しています。ハメの窟、藤之池、巻淵大権現とか。
巻淵大権現は麓の槇淵神社でしょうか。槇淵とは魔鬼淵。もちろん当字でしょうがダークな印象は否めませんね。
 
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気になったのが禊場。
垢取川の禊場所が無くなったので境内に設置されております。今は禊する人も少ないので少々穢れが留まっているのが気になりました。本来の垢離取川に設置されていたように、穢れを洗い流す聖地剣山から湧き出した水の「流れ」が必要。ちょっとこの禊場所は形だけの禊場所で本来の意味合いから考えると違うのかなと。。。
 
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その他にも役小角像が設置された祈祷エリアや立派な不動明王像がありました。垢離取橋を渡ったすぐにも古来からの不動明王があります。昔は役小角も同じ設置されていました。こちらも山津波で流されて現在はありません。
このように古来より設置されていた造形物を龍光寺の境内に集めて往時を復元しているようです。
 
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神氣ダダ漏れの龍光寺本堂でございます。
確かに位置的にも剣山頂上を背後に控えた遥拝所。とても立派な建物です。昔から表玄関として賑わいと崇敬を集めたことは本堂の規模を見て想像することができます。
 
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本堂から左に向かいますと崩落したエリアを確認することができます。崩落したエリアに福生大権現の祠が古来より設置されていました。枝折大権現や槇淵大権現もこの藤之池から派生した神なのでしょうか。
 
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歴代の阿波国司が厚い崇敬を示した剣山大権現。明治四年の神仏分離で仏閣扱いとなってしまいましたが龍光寺自体は神社形式の造り。
藤之池龍光寺で祭祀されていた不動明王スサノオ尊でしょう。
 
剣山大権現縁起を確認してからの藤之池龍光寺参道はとても有意義なものになりました。
人を寄せつけない威圧感はありますがそこは古来からの祭祀場。現在も祭祀場のお役目を継続しているのでしょう。場所的にアクセスは容易ではありませんが、個人的には八十八箇所を巡礼するよりよっぽど御利益があるような気がします。
 
藤之池龍光寺を参拝して垢離取し、剣山を一ノ森経由で巡礼する。いつかは挑戦してみたいと考えております。