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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大宜都比売命 八伴神の宮を探しだせ!!

 

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神代に御馬に乗り給いて、八前の伴神を引率して本国に移らせ玉ひ、大麻比古、天日鷲命と共に一国経営の始めに粟を蒔き玉ひし神勲を以て御名を大阿波女神、八倉比賣命、田口大明神と申し、亦大宜都比売命と尊称奉る。
大麻比古大明神、種穂大権現 粟耕作なされ、田口大明神へ捧げ給い、国家安全を祈らせ給う。日本粟最初の山なる故、大粟と号す。是、阿波国の始まり承り伝う。
八前の伴神とは、大久保の牛頭天王、大埜地の腰ノ宮、上角の都々姫の神、中津の天王ノ宮、野間の妙見宮、白桃の妙見宮、谷の天平および北名の某社という。
 
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誰も大宜都比売命が連れて来た八伴神の宮に興味を示さないみたいなので、いつものように勝手に調査を進めてきました。(笑)
情報量は少ないですが探せば何かしらに当たります。(記載している現在の祭神は差替えられた神がほとんど。昔を遡るヒントは男神か女神の名残りしか残されていないとみていいでしょう。あしからず。)
 
筏津 天王神社(出雲神社・城山神社)
 
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祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
当初から本村字谷77であったが明治12年6月6日 「出雲神社」に社名変更?
源氏の開祖 多田満仲の位牌を納め供養する長満寺の真裏の出雲神社。別名城山神社です。京地城跡でもあります。どうも古墳くさい場所です。
 
 
八坂神社(大久保 牛頭天王社
 
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祭神 素戔嗚命・稲田姫命 (すさのお・いなだひめ)
神領字中津167
ミニ御馬石がある天王さんと呼ばれる神社です。牛頭天王ですね。大宜都比売命が大粟山に鎮座する前に休憩した場所と伝えられています。
かなり古いと思われる "おかまご" の社があります。
神社を鎮座する場所にしては変な場所にあります。
 
腰ノ宮神社(大埜地 葛倉神社)
 
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祭神 葛倉明神(くずくらみょうじん)
神領字大埜地388
葛木男神を祀った社。現在は事代主神社の元社と伝えられている神社です。ここも大宜都比売命が腰を掛けて休憩した場所との伝承があります。よって別名が腰ノ宮。
粟国造達が大粟神社に行くのに使用した旧道が鮎喰川沿いに続きます。
 
 
白桃 妙見神社神領 八幡神社に合祀)
 
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祭神姫神(やまとひめ)
神領字南上角170、明治12年6月6日 に村社八幡神社に併合。
 
上角 津々姫明神社(神領 八幡神社に合祀)
 
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祭神 埴安姫神(はにやすひめ)
神領南上角170 明治12年6月6日 に村社八幡神社に併合。
 
 
考道神社(野間 妙見神社に合祀)
 
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神領野間154 明治12年6月6日 字東野間154の妙見神社に併合。
 
 
野間 妙見神社(野間 妙見神社
 
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祭神 豊斟渟尊(とよくむねのみこと)
神領字東野間154
豊斟渟尊とは別名 豊雲野神(とよくものかみ)。
ちなみに当社の氏子さんの苗字も「みょうけん」さんでした。ちょっとだけお話をうかがいました。
 
神山町には那賀郡の境にそびえる雲早山(くもさやま)があります。嵐の際に雲早山麓にある河川から鮎喰川に流れ、社が流れ着いた場所が現在の辰ノ宮。さらに流れて龍山(辰ヶ山)麓に祭祀、さらに流れて天佐自能別神社になったとのこと。大宜都比売命の伴神の一柱が豊雲野神なのか、置き換えられたのかは不明です。
 
 
 
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祭神 葦稲葉神(あしいなばのかみ)
神領字北81に鎮座。もともとは上一宮大粟神社の境内社 若宮社。(神領小野の大峯神社に移遷された説もありますが詳細は不明)
祭神はご存知、葦稲葉神。本来の神名は物忌奈神(ものいみなのかみ)。こちらは上板町に葦稲葉神として勧請され、現在は殿宮神社に合祀されております。そして伏見稲荷大社はここから…

 
と、いう訳で現在の八伴神が祭祀されている社に参拝して参りました。当然合祀されている社があって元社地を確認出来なかったり、ちょっとこの場所違うんでないかぃ?っていうところもあったりして、個人的には満足はしていません。
そして明治期の記録も入手しましたが現在調査した内容とズレが生じています。(入手した全ての情報において何らの相違点が見受けられます)
 
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(朱記で線と文末に八社伴神也と記録)
 
明治期の神領村神社記録ですが冒頭に引用した内容、今回紹介した内容にそれぞれ違いがあります。なかなか元社地を確定するのは難しいです。

その他に気がついた点は、鮎喰川沿いに各社が鎮座していることです。
 
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これは粟国造達が本館のある大粟山に行く際に使用したのが鮎喰川沿いに作られた道であるからでしょう。(逆かもしれませんが)
 
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葛倉神社は本館に行くまでの休憩場所に使用されていたのだとか。

あとは、ほとんどの社に摂社が多くの境内摂社を有することです。しかもかなり年代が古い祠ばかり。
 
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(出雲神社の摂社は九社。予想すれば赤屋根の大きな社は大宜都比売命と大麻比古神かも。)
 
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(葛倉神社は祭祀跡の石を含めて七社)
 
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(八坂神社は古いおかまごを含め数社あったはず)

それでは最後に残った曖昧になっている不詳の神社について進めます。資料やその他の記録に特に際立った掲載はありませんでしたが、怪しいと考えている一社があります。

神領小野に鎮座する「小野の天王神社です。

立地条件は神領谷に鎮座している「出雲神社」とそっくりで小高い丘の上に鎮座しています。
今回使用した古い資料には「小野」に移遷した、合祀したなどの「キーワード」が含まれていました。
そしてこの「小野」エリアは神領村での北の境界にあたります。(さらに小野の隣エリアの地名は宮分… )
 
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(鳥居の向きが社殿に対応していません)

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(農村舞台になっています)

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(向かって左にスサノオが… )

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(本殿ですが農村舞台との距離が近くて正面から撮影できませんでした)

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(ギョッとした地神塔。薄い石をたくさん重ねた珍しい土台)
 

社殿の真ん前に農村舞台がある珍しい神社でした。境内は整えられていて、昔の状況のままではない感じがしました。

何が言いたいかというと、この社は過去記事に書いた北名の一社神名不詳の神社ではないかと考えているのです。

 

 
大久保の牛頭天皇
大野地の腰宮葛倉明神社
白桃の妙見宮
上角の津々比賣明神社
筏津の天皇
野間の妙見宮
北名 一社神名不詳:小野の天王神社??
 
 
終わりにあたり…
 
大久保の牛頭天王社
大埜地の腰宮葛倉明神社
野間の妙見神社
筏津の天王神社
以上の四社は現存している八伴神を祭祀する神社である。
 
上角の津々比賣明神
白桃の妙見宮
以上のニ社は神領八幡神社に合祀されている。
 
考道神社については不詳。
考道神社は野間の妙見神社に合祀されているらしい。
 
北名の不詳社は小野の天王神社かもしれない。
 
という訳で中途半端で申し訳ない。
だから今回の題名が「八伴神の宮を探しだせ!!」なんです。(苦笑)

神代の伝承なので状況が変化して伝わっていない部分がまだまだありそうです。今後新たに情報を入手して道が開けた暁には改めて投稿したいと思います。