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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

摂社からみた大麻比古神社 真の祭神(鳴門市大麻町 大麻比古神社)

神の坐す場所 阿波の伝説 大宜都比売命 忌部氏 板野郡 阿波の神社巡り

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阿波一宮 大麻比古神社御由緒 

御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神 
 
神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め阿波国に至りまして、麻楮の種を播殖し麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め 給ひその守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。 
大麻比古神社は太祖天太玉命猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられる。
猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐ししが後世に至り本社に合わせ祀ると伝えられる。 
延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波・淡路両国の総産土神として崇め奉る。
清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇亨保四年正一位 に進み給ふ。
斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以て社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。
明治六年国弊中社に列す。明治十 三年国費を以て本殿以下の造営が行はれ。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十 五年氏子崇敬者の寄進によって造営された。 
大麻比古神社は古来、方除け、厄除け、交通安全の神として霊験を授け給い、県内外 の氏子崇敬者から『大麻さん』又は『大麻はん』と親しみをこめた御名で崇められ、 厚い信仰が寄せられている。 
猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐ししが後世に至り本社に合わせ祀ると伝えられるとの話は神社側が古来より祭神を忌部氏の祖とする為の努力の現れである。
 
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阿波国の民であれば一度は参拝したことがある阿波国一宮 大麻比古神社です。
ご存知「大麻はん」は、いろいろな研究家の方がいろいろな角度で斬っています。
今回わたくし、大麻比古神社摂社」にスポットを当てて、いつものように妄想を挟みながら大麻比古神社 真の祭神に迫ってみたいと思います。(あくまで妄想ですw)
 
まずは摂社のご紹介から。
 
西宮社
水神社
中宮社
豊受社
丸山稲荷社
丸山社
山神社
 
 ※今回は鹿江姫神社に比定される野神社、その横の天神社は含めていません。ちなみに天神社は菅原道真だけ祭神ではないですよ。(そんなこと知ってるよね)
 
それでは進めます。
最近は親切に社名と祭神が記入された表示板が設置されました。分かりやすいですね。
 
 
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西宮社
なぜか主祭神天照大神です。
日本に約3500社ある西宮神社主祭神はえびす大神がほとんど。
こちらの社はなぜ「えびす(事代主神)」が不在なのかを考えてみますと母屋(本殿)と奥の別宅(本殿背後の山神社)のにいるからだと思ってしまいます。
(余談ですが阿波の事代主神神社の元社は神山町 神領の腰の宮です。知ってて損はないですよ。)
 
 
 
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水神社
祭神は「水波女神:水波能売命(みずはのめ)」。
一宮町 國中神社の祭神も水波能売命です。隠してました。(笑)
 

awa-otoko.hatenablog.co

そしてこの神は水の神でありながら丹生の神。

何故この神がこの地に坐しますのかというと付近に萩原古墳群と鳴門 丹生神社があるからです。
 
 
 
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中宮社
こちらの祭神は不詳とされています。
しかし中宮の意味が后であることから単純に大麻比古神社 主祭神(隠された真の祭神)の后神であると考えて良いでしょう。
たぶん后神が明確になると主祭神もハッキリしますが、ここは あ、え、て、不透明にしているのでしょうね。( ̄+ー ̄)ニヤ
私はズバリ、中宮の祭神は「阿波咩(あわめ:大宜都比売命)だと思っています。(ただ、阿波咩は私が知っている限りでは二柱存在しているので別の神かもしれません。)
 
 
 
 
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豊受社
祭神は豊受大神。ここは素直に大宜都比売命だと考えましょう。
その他、天石門別豊玉比賣命or玉依毘売命も比定神としても良いのではないでしょうか。
こちらは大宜都比売命と天石門別豊玉比賣命は同神(粟飯原氏系図より)でありますのでどちらでも問題はないと思います。(いいのか、そんな適当でw)
 
 
 
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丸山稲荷社
稲荷社の祭神は倉稲魂。
倉稲魂は大宜都比売命の御子を集合させた神。(阿波志より)
またこちらは別で詳しく。
 
 
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丸山神社
 
丸山神社はもともと阿波神社が建設される前に鎮座していた神社を当地に移遷した神社です。位置から考えると丸山神社は宇志比古神社の境内社と思われ…(あまり自信ない)
実は宇志比古神社は大麻比古神社の飛地 境内社になります。
 
宇志比古神社の隠された祭神は鴨事代主神。またの名を大山咋神。(阿波國古義略考より)
 
 
 
 

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山神社
祭神は大山祇神(大山住神)です。
この大山住神にも関係がありそうな阿波の伝説があります。
 
むかしむかし、伊予国三島郡尾田の里に橘朝臣清政という長者がいました。やまとの長谷寺に祈願してやっとのことで子宝に恵まれましたが、その赤ん坊はふとした隙に鷲にさらわれてしまいました。
鷲は阿波国板西郡の頼藤右衛門尉宅にきたり、庭先のびわの木に赤ん坊をはさんでそのま飛び去っていきました。
右衛門尉も子供がなかったことからこの赤ん坊を大切に育てました。成長して名を橘朝臣仲持と改めた若者は都に上り、天皇のおぼえも目出度く、やがて帰った折、父母を捜し出して孝養に努めましたが、父母が亡くなると三島大明神として祀ったのです。
やがて自分も八十一歳の時、神となってあらわれました。三島大明神すなわち伊予国の一宮がそれであり、彼の乳母は讃岐国の一宮、養父右衛門尉は阿波国の一宮となったと云われています。
 
この話は伊豆三島神社の縁起および伊豆三宅島の三島大明神の縁起と同じ内容をもつものらしいですが、、、ちょっとわかりにくいです。
でも各所にヒントが隠されているような内容ですね。鷲は天日鷲命、橘朝臣は天石門別の系譜などですね。
 
朝臣はとは…
飛鳥時代末、県犬養三千代元明天皇から「橘宿禰(たちばなのすくね)」の氏姓を賜ったことに始まる。その子・葛城王橘諸兄へ改名した後、諸兄の子孫は橘氏を稱した。諸兄は初め「橘宿禰」の姓を受け、その後「橘朝臣」の姓を賜與された。
Wikipediaより)
伊波底別神(いわとわけ:天石門別)の御系なるは犬をいふ事、犬大角彦佐別ノ命(イヌオホスミヒコサワケノミコト) 犬姫 犬飼 犬上の類ひにして當国の地名に犬何といふか聞ゆるも縁あることなり…(阿波國古義略考より)
 
上に引用した伝説は
大山住神が天日鷲命に取って代わられたことを暗示しているように思います。
 
大麻比古神社 主祭神天日鷲命天太玉命が勘定される以前は大山住神だった可能性があります。
 
大山祇神大宜都比売命 三男二女ヲモウケ、式内・式外の入部ニ詳ナリ… 御子達ハ宇賀ノ御霊ノ神ツヅイテ祭ル (阿波志より)
 
とあることから大山祇神事代主神と同神。
よって大宜都比売命が后神となります。
 
このことから、大麻比古神社阿波国造 粟凡直祖神 事代主神を暗に祀っている。ということです。
 
本殿裏 左右両隅にはガッチリと阿波の国魂 大宜都比売命が固め、本殿の直線上 真後ろに真の祭神「大山祇神事代主神」を配置して大麻山を背後に本殿を通り越し、本来祭祀されていた山神社、即ち事代主神を拝むようになっているのでしょう。
 
きれいにまとまったかな。私の妄想。。。
 
あれ、猿田彦も祭神じゃないの?という方もいるのでしょうから私の解釈から補足を。
 
弥山神社
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大麻山 山頂には弥山神社が鎮座しており、もともと猿田彦神を祀っていたことはご存知の通り。


こちらの神は天ヶ津山の狒々(大猿)伝説から猿田彦神を祀ったように思います。どうも一宮町 経由の猿田彦神では無いような気がするのです。(気がするだけ)
一宮城内鎮守五社の大麻彦神は富田に行きましたが、この時期に大麻比古神社にも猿田彦大神が伝播したように受け取っております。(あくまで一宮城 鎮守五社の大麻彦神のことね)
 
麻能等比古神社は「麻能等(まのと)」は「水門(みなと)」也とし、水門の神である速秋津比古(はやあきつひこ)命とする。(阿波志より)
 
こちらから推測すればもともとは岐(港)の神です。
大麻山(弥山)はもともと突出した地形であり、灯台の役割を担っていました。(今も頂上にライトがあるでしょw)
 
主祭神大麻比古神 - 天太玉命(あめのふとだまのみこと)
配祀神猿田彦大神 - 古くから大麻山に祀られており、のちに合祀されたされる
 
『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』(以下、『日本の神々』)によれば、古くは室町時代成立の『大日本国一宮記』にあるように祭神は猿田彦大神とされ、文化12年(1815年)の『阿波国式社略考』にも見られるように、概して卜部系の考え方は猿田彦大神で統一されているのだと言う。『日本の神々』では、これに対し、神社・神主の側では享保14年(1729年)と宝暦4年(1754年)に郡代奉行へ「御神体猿田彦大神と崇め奉り候ふ儀、なおまた秘説これあり候へども・・・」と上書したように、猿田彦大神大麻山山頂にあったのを合祀したもので本来の主祭神天日鷲命(あめのひわしのみこと)であると、猿田彦大神を暗に否定して阿波忌部氏の祖神に付得する努力を続けてきたようだ、と述べている。
 
日本書紀』の神代巻では阿波忌部氏の遠祖は天日鷲命であるとし、『古語拾遺』では天富命(あめのとみのみこと)をして、天日鷲命の孫を率いて、肥饒の地を求めて阿波国に遣わし、穀・麻の種を殖わせしめたとしているが、『日本の神々』によると阿波国国学者野口年長は、安房国下立松原神社に伝わる忌部氏系図から、大麻比古命は天日鷲命の子でまたの名を津咋見命(つくいみのみこと)と言い、その娘は千鹿江比売命(ちかえひめのみこと)であるとの説を提唱したのだと言う。
 
明治時代以前は猿田彦大神と阿波忌部氏の祖の天日鷲命とされていた祭神を、明治以後は猿田彦大神と古伝に基づいた天太玉命としたが、『日本の神々』によれば、山口定実が忌部氏祖神説の傾向をさらに発展させて唱えた「天日鷲命は阿波忌部の祖先であるから、(忌部神社は)忌部の社または地名により麻植の命と申すのに対して、(当社は)太祖天太玉命を祀って大麻比古神と申す」との説が、現在の大麻信仰の基礎となっているのだと言う。
 
同書では、神話において、天孫降臨に五伴緒の一人として随伴した天津神天太玉命と、その行く手に現れた国津神猿田彦大神は本来別系統の神であり、本質的には対立する関係の両神が同一社地に祀られている理由は必ずしも明らかではないと述べる一方で、猿田彦大神が祀られた事情を次のように推測している。
 
下立松原神社の忌部氏系図では大麻比古命は別名を津咋見命、その娘を千鹿江比売命としているが、この神性は「津咋霊(ツクイミ)」と「近江(チカエ)」でいずれも港に関係した名を負う神である。当社の場合、忌部氏勢力の衰退と共に津咋見命の性格が忘れ去られて行き、経済の発展と共にますます重要視されてきた港の神・交通の神としての機能が特に残ったものと考えられる。忌部氏が没落すると、室町時代に民間流行した庚申信仰により、巷の神・交通の神である猿田彦大神の神性が付会されたのであろう、としている。(wikipediaより)
 
Wikipediaでも猿田彦大神は付会とされていますよね。
でも別のルートから大麻町付近に猿田彦大神は移動していたことも想定できるのです。
ちょっとこれは宿題とします。(補足にもならんw)
 
もうこれを書いてしまえば収集が付かなくなるのですが、猿田彦大神さえ大山住神、事代主神、はたまた別の神であるかもしれないということ。
 
このように主要な神々は役職名、別の神名(〇〇神、またの名を…)で現されており、氏族単位でも伝承に変化があります。
実際に大麻比古神社付近 岡上郷には那賀登美:中臣、粟凡直、忌部、物部の氏族がこの地域に居住していた。そして港としての特性から外部の情報も持ち込むことが多く、これに各時代の情報が混同すれば…
 
何が正解なのかわかりませんw。
 
よって通説に拘らなくとも、いろんな視野や発想で考え、さまざまな文献からの情報を集約すれば自ずと繋がってくるもの。
 
そんな意味でこの大麻比古神社は特に重要な場所であると考えているのです。
今回は粟凡直一族の伝承を主軸にまとめてみたものですが、他の観点から考えると他の神になるかもしれませんね。それでは。