awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大岩さん見ぃつけたぁ。(川島町峯八 雀嶽)

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ちょっと前に二回も探索して見つけられなかった雀嶽(大岩さん)の場所を絞り込めたので、三回目の正直を信じて行って参りました。

awa-otoko.hatenablog.com

 

雀嶽、学村の南に在り、林木繁茂、中に岩窟あり、幽深愛すべし、又石在り、独起す、大岩と呼ぶ、宮島八幡祠の旧址なり(阿波志)
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(こんなところばっかり… まぢ迷いまっせ… 苦笑)
 
前回のレポートで詳しく書いたので、今回は阿波志の引用で簡単なおさらいです。
 
大正五年まで宮島(善入寺島)に鎮座していた浮島八幡宮の元社であった「大岩さん」。やっと見つけました。(結果、前回確認した大岩のすぐ横にあったという大失態 泣)
 
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この大岩は高さ6m、幅15mの大きさがあり、上部と正面に大きな窟が見られ、内部には石段が設けられていることから、かつては「潜り岩」的な意味を持つ祭祀施設であったそうです。
 
見たところ明らかに「磐座」であり、紅簾片岩の巨石を御神体として祭事を掌っていた遺跡であります。
 
また、阿波の紅簾片岩は畿内の前期古墳を構築する石材として阿波から畿内各地に運びだされおり、これは畿内の古代人にとって必要不可欠な石であるということ。
 
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阿波の赤く光る紅簾片岩は葬送儀礼に使用され、水銀朱と同じような重宝されていた石なのでしょう。
水銀朱のように永遠の命を願う要素がある紅簾片岩、しかも「磐座」である場合は古代大和朝廷の祭祀を司った忌部族にとってはとても重要なものであったと推測されます。
 
さて「磐座」も見てみたかったのですが、わたしが興味をそそられたのは宮島八幡祠の旧址。
大岩さんの少し西側の上にそれはありました。
 
石積に囲まれた窪地。周囲に古瓦や、お椀などが散乱していたのでお祀りした跡なのでしょう。
戦前までは小祠が置かれ、年に一度宮司祝詞を奏上していたそうです。
 
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(ちょうど祠の跡地を示すように木漏れ日が射し込んでおります)
 
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この場所から北側を確認しますとほぼ正面に浮島八幡宮跡が目に入ります。現在は雑木により見えにくですが。
 
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こちらは六地蔵展望台から。肝心な元地からの展望は写真を撮りわすれた 笑)
浮島八幡宮が破壊される前は、こちらも大岩の上に鎮座されていたそうです。元地からは必ず確認できる場所であると考えていましたが、どんぴしゃだったようです。
 
三回のチャレンジでやっとたどり着けた「大岩さん(雀嶽)」。
遺跡として、浮島八幡宮の元地として、とても重要な場所であります。峯八古墳同様に看板の設置、道路の整備があれば何回も足を運ぶことはなかったので氏子さん達に期待ですね。
阿波忌部の祭祀、動向は、古代史を調査するうえで外せない部分です。興味ある方はぜひその目で「大岩さん(雀嶽)」を確認してみてください。