awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

目佐穴権現(和耶神社)

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島根郷伊豆美。長川(那賀川)の河口より石門から牛岐、そして橘湾に面する現在の富岡と呼ばれる場所。
 
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この島根郷伊豆美は神代より海人族の繁栄した場所で、この地の王が波邇夜須比賣(はにやすひめ)と孝元天皇の御子である「建波邇安王(たけはにやすおう)」でありました。
 
建島女祖神社で祀られるのは波邇夜須比賣。
現在の小松島市より以南を支配下に治め、皇統をかけた争いが「波布理曽能(はふりその)」で展開されます。
 
「波布理曽能」は現在「はの浦」、「ふる庄」として二分されている地域。
争いでは勝浦川の前線、長川の最後の一線も破れ、天皇を名乗ってもおかしくない力量の持ち主であった建波邇安王は戦死してしまいます。
その悲運の王子建波邇安王が祀られたのが、「式内和耶神社」こと「目佐穴権現」なのです。
 
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阿南市羽ノ浦町中庄の羽ノ浦神社の真横、拳正寺の境内に「穴観音さん」と呼ばれている地元住民に親しまれている観音山古墳があります。
古墳を覆っている封土が流出し、墳形は分かりにくくなっていますが直径約十二メートル、高さ約三・五メートルの円墳です。
 
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古墳のすぐ横には観音堂が建てられていて、堂内に入ると古墳内部につながる全長約七・三メートルの横穴式石室の入り口が見えます。
 
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信仰の対象となったことが幸いし、石室内部はほぼ当時のまま。現在は入り口に格子が設置されていて、内部に入ることができるのは正月の三日間のみ。
古墳のある宮倉地域は能路寺山古墳群など複数の古墳群が点在し、神代からの繁栄をしのばせています。
 
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補足ですが、この地には空海も訪れており、この「建波邇安王の陵墓」とされる「穴観音」は空海が一日で掘ったという伝承も残されています。やはり神代の旧跡を確認しにきたようです。
 
調べていくうちに見えてきましたが、行基も神代からの旧跡を訪ねていた形跡があり、空海と混合されて伝承されているようです。
 
過去にも投稿しましたが「和耶神社」はこの地に鎮座し、「建波邇王」は「和耶神社(穴観音)」で祭祀されていたと考えてよいのではないでしょうか。