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阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

品陀真若王と三比賣(石井町)

 
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品陀真若王社跡)
 
名西郡石井町の日本武尊 殯宮白鳥の上流、大きく入込んだ入江に沿って「品陀真若王(ほんだのまわかおう)」と、その娘達 三人の比賣は祭祀されています。
 
品陀真若王」とは五百城入彦皇子の王子、景行天皇の孫王にあたります。そして天火明命(あめのほあかり)、天香山命 直系の氏族で倭王朝確立する以前の倭奈国時代より続く海人族の大王でありました。
「品陀別命(ほむだわけのみこと)、軽島の明宮に坐しまして、天下治らしめしき。この品陀真若王(ほむだのまわか)の女、三柱の女王を娶したまひき。
一はしらの名は高岐入比賣命(たかきいりひめ)、次に中比賣命(なかつひめ)、次に弟比賣命(おとひめ)」
ここにある「品陀別命(ほむだわけのみこと)」とは「応神天皇」のこと。(※ 似ていますが品陀真若王と品陀別命は別人ですよ)
 
 
これは「品陀真若王」の三比賣を娶ったことで「品陀真若王」の氏族の分かれであることを表しています。応神天皇自身皇族でありながら「品陀真若王」の名を語り、名を別けていることから、いかに品陀真若王が往時に勢力を誇った氏族であるかがお分りいただけると思います。
 
そして「品陀真若王」の三人の比賣。
 
 
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(東王子神社
 
まず石井町の東、渡内川の高城(たかき)の「東王子神社」に「高岐入比賣」。

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(中王子神社
 
そして西に300㍍ほど移動した場所の「中王子神社」には「中比賣命」。(こちらの中王子神社は以前に長王子で紹介させて貰いました。)

中王子は長王子?(石井町 中王子神社) - awa-otoko’s blog

 

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(西王子神社
 
さらに西の石井町浦庄地区の「西王子神社」に「弟比賣命」が鎮座し、祭祀されています。
 
 
高岐入比賣と応神天皇の皇子である「大山守(おおやまもり)」は「東王子神社」の真北、仏王山 大山寺が居住地。
中津比賣と応神天皇に皇子が仁徳天皇。これまた中王子神社の北、市場町奈良の宮殿 若宮皇太神宮で幼少期から青年期を過ごしています。
(中津比賣は仁徳天皇を産み、応神天皇の正后であることから八幡神の中の比賣神とされています)
 
そして応神天皇と弟比賣命との皇子が「阿倍仲麻呂」で、こちらは気延山を南に越えた神山町で産まれ育っています。

阿部仲麻呂(入田町 三かさ山) - awa-otoko’s blog

 

 
 
品陀真若王の話に戻しましょう。
 
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品陀真若王の御陵は現在も残っております。
 
場所は詳しく教えれませんが(説明が難しい場所だから)、その御陵を拝する祠(品陀真若王社地)が残っております。
ズバリ御陵は品陀真若王社地の前の山麓です。たぶん盗掘もされていないので、掘れば何らかのお宝が発掘されるはずです。
 
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このように強力な海人族大王と皇族の血が合わさり、倭王朝の地位が磐石のものとなった場所が名西郡石井町だったわけですね。