awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

大富彦って…(大富彦神社)

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藍住町東中富字傍示に鎮座する「大富彦神社」です。創建は不詳。祭神は犬伏左近霊とされております。
 
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犬伏左近とは中世 阿波三好家の被官。

300貫の知行を取っていたが長宗我部元親の進攻(中富川の戦い)で討ち死しております。
 
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後世に犬伏左近の子孫が当社を建てたとされる神社なんですが… 引っかかることが一つ。
 

神社名です。

犬伏左近を祀るのなら、犬伏神社で良かったのではないでしょうか。
 
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なぜ社名が「大富彦神社」なんでしょう… 

 
鎮座する藍住町東中富ですが、以前書いた内容にも地名の由来を書かせてもらいました。
 

蛇と鴨(登美の那賀須泥毘古) - awa-otoko’s blog

そうなんです。藍住町 東中富、西中富という土地は「長脛彦(ナガスネヒコ)」こと「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」の後裔氏族「中臣氏」が繁栄したが故の地名なのです。
(通説では中臣氏(藤原氏)は天児屋根命の末裔とされていますが藤原氏二代目 不比等の捏造です… たぶん )
 
しかも「登美毘古(トミビコ)」とは「長脛彦」の呼び名。
社名の「大富彦(オオトミヒコ)」は「長脛彦」を指しているのではないかと考えました。
 
そこで調べたんですが…
 
 
 
犬伏氏と中臣氏の繋がりを探してみたのですが資料も少なくわかりませんでした。
今回は早めに白旗を挙げます。(笑)
 
ただ犬伏氏は阿波国 板野郡犬伏村がルーツであるそうで、現存する地方の戸籍では最古と云われる「板野郡田上郷戸籍断簡」を調べてみました。
 
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(田上郷戸籍断簡の一部)
 
残念ながら戸籍にも犬伏の名は記されていませんでした。(調べた文献が古すぎるわな。囧rz)
 
ちなみに板野郡田上郷の戸籍には凡直、海部、忌部、物部とそうそうたる氏族が連なり記載されています。
 
その中で気づいた方もいるかもしれませんが、戸籍に若年〜壮年の男性が一切見あたりませんよね。これは中枢へ納める税負担を軽くするために、わざとに洩らしたといわれています。
 
実際はそんなことはありません。
阿波(倭)から大和(大倭)へ都が移されてからは阿波有力氏族の男は大和へ役人として出国することが慣わしとされていたからなんです。近畿圏の言葉やイントネーションが阿波弁に近いのはそこが理由ですね。
 
あ、脱線した話を戻します。
 
結局、長脛彦や中臣氏と犬伏家の繋がりについてはわかりませんでしたが、犬伏家は安土桃山時代より薬業を始め、江戸期には敬震丹(けいしんたん)という薬を犬伏九郎左衛門が創生してたいへん栄えたそうです。(現在も製薬会社を経営)
 
その他、犬伏家と妖怪退治の奇譚「しっぺい太郎」伝説と繋がりが見え隠れしたり、、、とかあるのですが、これ以上話を広げても収拾できないのでこのまま終わりにします。
 
「大富彦」の由来調査は継続(アタマの片すみに置いておくだけ)するので、新しい発見があれば書きますー。