awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

和奈佐は倭奈佐(大里八幡神社、和奈佐意富曾神社)

f:id:awa-otoko:20150208232417j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232542j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232554j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232613j:plain
 

はい。今日は阿波の海人族の古の拠点であった「海部」、現在の海陽町に行ってきました。
 
大里海岸の目の前に鎮座する「大里八幡神社」は、古の「和奈佐意富曾(わなさおほそ)神社」が変化したもの。
 
f:id:awa-otoko:20150208232245j:plain
(那佐湾:海陽町大里海岸)
「奈佐というのは、其の浦の波の音は止む時がないので奈佐という」
「海部あまは波を奈佐という」
 
須佐之男命(すさのおのみこと)が「海原を治めよ」と父のイザナギノ大神に命じられた海原の国は阿波の県南部の当地。
 
f:id:awa-otoko:20150208232629j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232640j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232654j:plain
(大里八幡神社 境内社 和奈佐意富曾神社)
 
延喜式内社の「和奈佐意富曾神社」は太古の昔、那佐湾に面した鞆奥の大宮山にありました。それが現在の海岸前に移遷されて、大里八幡神社となったのです。
 
(ちなみに現在は和奈佐意富曾神社は大里八幡神社境内社として鎮座しております。本来とは逆の関係になってしまっています。)
 

「わなさ」とは倭の奈佐。

(倭:わ 、奈:な 、佐:さ)

(倭:い 、奈:な 、佐:さ)とも云う


また、この阿波国の和奈佐意富曾神社を祀った神人集団は豊受大神、またの名を豊宇賀能売神(とようかのめのかみ)を奉じ広く宣布しました。
 
この神は漂泊したのち、奈具の社に止まることが「丹後国風土記」に記され、そこには老夫婦の名が「和奈佐」と記されていました。
上記にくどく書いているように倭奈佐(わなさ):阿波(倭)の奈佐の出自であることは明白ですね。(補足:華麗にスルーしていますが「いなさ」の浜は「稲佐の浜」に繋がる可能性も。。。)
 
出雲国風土記」に書かれる阿波枳閉和奈佐比古(あはきへわなさひこ)神社「アワキへ」阿波から来た意味であり、この神人集団の本拠地が阿波国にあったことを示しているのです。
 
f:id:awa-otoko:20150208232814j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232831j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232846j:plain
f:id:awa-otoko:20150208232902j:plain
(那佐湾周辺の海人豪族を埋葬した大里古墳)
 
このように奈佐湾周辺の神人(阿波の海人族)が伝えた伊勢神宮の外宮に祀られる阿波の大宜都比賣(おおげつひめ)は、豊受大神(とようけのおおかみ)や稲荷大神等と神名を変えて全国各地で現在も祀られているのであります。
 
 
 
↓↓ 伊邪那岐命の逃走ルートとして「和奈佐意富曾神社」を含めたテーマです。良かったら 読んでみてください。

伊邪那岐命と伊邪那美命の真実(と一部妄想) - awa-otoko’s blog