awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

胎蔵界と金剛界(大窪寺 奥之院 胎蔵峯寺)

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大窪寺(おおくぼじ)は、香川県さぬき市にある寺院。医王山(いおうざん)遍照光院(へんじょうこういん)大窪寺と号する。本尊は薬師如来。宗派は真言宗大覚寺派
寺伝によれば、奈良時代の養老年間(717年 - 724年)に行基が開基し、弘仁年間 (810 - 823) に空海弘法大師)が奥の院の岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、薬師如来を刻んで安置したとされている。この時に空海が納めたとされる錫杖は、空海が唐から持ち帰った三国伝来のものと伝え、本尊とともに祀られている。(Wikipediaより)
 
さて、今日は阿波を脱出して、お隣の讃岐国 大窪寺に行って参りました。〒769-2306 香川県さぬき市多和兼割96 大窪寺 - Google マップ
 
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そうそうにお参りを済ませ、、、

めざすは大窪寺の奥之院 胎蔵峯寺」。

 
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(奥之院を示す石碑)
 
胎蔵峯寺はさぬき市指定史跡の"大窪寺奥の院信仰遺跡"と なっており、大窪寺本堂の左側の山王社から約900㍍進んだ場所にあります。
 
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(本堂左にある山王社)
 
奥の院は、急勾配の斜面に幅約 5m 、長さ約 20m の台地を造成構築。岩壁の窪みに小屋が建てられています。この小屋が胎蔵峯寺になります。
 
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(奥之院 胎蔵峯寺)
 
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(胎蔵峯寺 側面から撮影)
 
小屋の中には本尊の阿弥陀如来(砂岩)が祀ってあり、小屋の裏手には、空海が錫杖で掘ったとされる「金水」「銀水」の水場があります。
 
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(胎蔵峯寺内部)
 
胎蔵峯寺の西へ約 15m 行くと、絶壁の上のほうに 胎蔵界大日如来金剛界大日如来などの梵字が彫刻され、またこの周辺の岩壁が割れて隙間ができており、この隙間を「せり割禅定」と称して通過する行場でありました。(梵字や行場跡は崩落が激しく、通行禁止)34.194110,134.203888 - Google マップ
 
 
さて、この胎蔵峯寺。寺名から考えると、かの有名な真言密教の聖地である金剛峰寺と一対の寺として建立されと考えても良いでしょう。
 

答えは「両部曼荼羅」にあります。

 
両部曼荼羅とは日本密教の中心となる仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現したもの。
日本密教の教えの中心ともなる大日如来を中央に配して、更に数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵曼荼羅」、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両部曼荼羅」と称します。
このように金剛界胎蔵界は一対のもの。
 
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(胎蔵曼荼羅
 
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(金剛曼荼羅
 
よって空海が残した大きなヒントが此処に隠されているのかもしれません。
 
とある書籍には胎蔵峯寺と剣山と繋げ「失われた聖櫃(アーク)」の隠し場所に関連しているとありますが… 
 
個人的には「…。」
 なので詳しい内容説明は差し控えます。
 
ともかく、剣山を眺望でき、女体山を配合に控える四国八十八箇所霊場の第八十八番札所であり、結願所の大窪寺 奥之院 八十九番目の「胎蔵峯寺」には空海が古代の秘密を隠している可能性は高いのではないでしょうか。
 
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