awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

千代ヶ丸山は反正天皇陵

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新著聞集巻十八に云、阿州勝浦郡大原浦千代ヶ丸観音堂修覆の事ありしに、地中より長九尺八寸、深さニ尺九寸、指わたし三尺余りの石のかろうと(唐櫃)をほり出せり、聞き見れば髑髏二つあり、頭の廻りは三尺七寸、額より腮まで一尺四寸、歯の長さ八分、鬼歯の長さ一寸五分、左の奥歯より右の奥歯に至るまで一尺四寸なり、剣二ふりあり、一ふりは長さ五尺五寸、幅三寸、又の一ふりは一尺五寸なり、刀一腰あり長さ六尺八寸、幅ニ寸五分なり、鉾一本あり長ニ尺、幅七寸、石衡八寸、矢ノ根二十五本、各長一尺ニ寸と也、元禄十四年四月二十四日の事にてありけり云々。

徳島市は大原町千代ヶ丸。

浦川沿いの小高い丘にも見える千代ヶ丸山です。現在は山の約三分のニを切り崩して住宅地になっています。
 
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昔、千代ヶ丸山の南西麓には観音堂が存在していたらしく、堂の修復の際に観音山古墳を発見したとされています。
 
その古墳跡に「蛭子神社」は鎮座しています。千代ヶ丸山 観音山古墳(反正天皇の御陵跡)ですね。
 
冒頭の記録では偶然に古墳を見つけたように記録されていますが、元禄年間に徳川幕府から「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由ニ候云々」として阿波で古代天皇の埋葬が行われた痕跡を徳島藩に調査させているんです。
 
元禄十四年四月二十四日(同日)、勝浦郡大原村千代ヶ丸の観音山古墳を徳島藩普請奉行 猪子理五郎等が掘り出した時の記録も残っています。(こちらが元ネタですね)
 
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冒頭の内容と一部重複しますが、こちらの方が少しだけ詳しい内容ですから掲載しておきます。
(元禄)同十年十一月十九日、土屋相模守殿、御留守居呼出左之書付御渡、
       覺
阿波淡路右兩國之内、古代之、
天子葬之場所有之由に候、淡路國三原郡有之旨に候、場所吟味有之候𤔡其所に矢奈等被申付、雑人不入込候様可被申付候
(中略… )
同十四年四月廿四日、勝浦郡大原村千代ヶ丸觀音山へ、普請奉行猪子理五郎、森脇彌五兵衛罷越、石之櫃堀出し申處に、内に右左品々有之、
一、石櫃長九尺八寸、深貮尺九寸、幅三尺餘、切ふさ貮枚、むぎ合に仕、内樋有之、
一、しやれかうべ貮つ、長サあぎとまで壹尺四寸、丸サ三尺七寸廻り、兩眼の間三寸、
一、上下の齒長さ八分、左奥齒より右之奥齒まで壹尺四寸、兩方の耳幅長さ壹尺五分、
一、今一つかうべの儀は不分明
一、刀一腰長さ六尺八寸、幅貮寸五分、
一、釼二振有之内一振は長五尺五分、幅三寸五分、今一振は長壹尺五寸、幅三寸五分、
一、鉾一、長さ貮尺は丶七寸、石突八寸、
一、矢根廿五本有之、長壹尺貮寸、幅三寸、
一、からうとの内かうや貮つに書付添、
右之通       以上

「古代天子葬之場所有之由の候… 」

この記録から…
 

徳川幕府阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていた

ことになります。
 

そして千代ヶ丸山の観音山古墳を掘っているということは、その場所に古代天皇の御陵があると分かっていたということになりませんか。

 
その情報は阿波国風土記にあったと考えており、徳川幕府はもちろんのこと、徳島藩主 蜂須賀も「阿波国風土記」(または風土記内容を転記した書物)を所持していたと推定します。
 
そして何らかの意図があって御骨や出土品は、このとき阿波から奈良大倭に運ばれ、奈良の反正天皇陵に納められたのではないでしょうか。
 
反正天皇は「古事記」に「御身の長(たけ)九尺ニ寸半、御歯の長さ一寸、広さニ分、上下等し斉(ととの)ひ、既に珠を貫けるが如くなりき。」と記録されているのですが、こちらの記録と千代ヶ丸 観音山古墳の埋葬者の身体サイズときちんと一致していますよね。
 
あ、遅くなりましたが反正天皇の情報はWikipediaからどうぞ。反正天皇 - Wikipedia
 
また、反正天皇とかかわりを持つ壬生部が阿波に住んでいたことを「類聚三代格」の「戸座  阿波国阿曇部壬生、中臣部… 」からも知ることができます。
 
よって反正天皇は阿波で一生を過ごし、阿波で埋葬されたという線が濃厚ではないでしょうか。
 
 
ちなみに今回は徳川幕府も阿波の秘密を知っていたという内容も掲載しました。
 
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松平元康は鴨氏の末裔を名乗り、松平から徳川に改姓しています。阿波藩の名称を徳島藩に変更もさせているんです。
また「阿波国風土記」の所在も気になります。
 
あやしいですよねー。
この関連もいずれゆっくり書きたいと思ってます。(^^)