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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

忘れられた田口大明神

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国府町桜間八幡神社境内にある高さ六尺ほどの五輪塔(凝灰石製)は
桜間城主 田口氏の墓と云われています。
 
桜間城主であった桜間介能遠は阿波国名西郡桜間を拠点とした豪族。
阿波の政治や経済を執り行なう在庁官人の筆頭でありました。
 
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この神社は明治初め頃まで「田口大明神」と呼ばれていましたが、明治時代になって神社を登録する際に「田口大明神」では県庁が認めてくれないとのことから「桜間八幡神社」にしたそうです。

また桜間介能遠の兄である田口成能は阿波民部成能と呼ばれ、平清盛に仕える四国の将でありました。田口教能 - Wikipedia
 
兵庫の「経が島」を築き屋島の内裏を造営したり、「平家物語」に「阿波民部成能は四国の軍勢をつれて壇の浦で平家方として戦っている」と記載されています。
 
また屋島の合戦で平家方が敗けた時、成能は平家を見限って平家方から離れ、源氏側に降りたのでありますが、12年の禁固ののちに和田義盛に斬首されました。
 
もともと田口氏は「紀氏」出身で大同三(八〇八)年阿波へ来たそうです。実はこの田口成能は「粟田姓」であったのではないかとの説があります。
 
「粟田氏」は、孝安天皇(天足彦国押命 あめのおしたらしひこ)を祖とする和邇族と同族にあたります。
 
始祖と云われる「考安天皇」の父「孝昭天皇」こと「観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと」が佐那河内村に鎮座する「観松彦神社」で長国の祖神として祀られること。

粟の国と長の国(二柱の神と二つの港) - awa-otoko’s blog

 

さらに阿波中世の有力豪族との繋がりを説くこの内容は有力な情報かもしれませんね。
 
ウィークデーなのでさらっと流しますよー。(笑)