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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

薬王子大権現は古の医療の神(薬王子神社)

板野郡 空海の足跡 明神、大明神、権現、大権現

「吾をば倭の国の青垣の東の山に拝き奉れ」と答へいいたまひき、こは御諸山の上に坐す神なり。

 
式内「倭大国魂神社」が奉られる美万城(みまき)の東、御所村の御所山に「薬王子大権現」は祀られています。
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「倭の青垣の東の山」とは「倭大国魂神社」が祀られている美馬地方を。「御諸山」とは土成町に鎮座する樫原神社の真裏の「御所山」を指します。(御諸は御所に通じる)
 
そして…
 

「薬王子大権現」。

   本来の名を「少名比古那命(すくなひこなのみこと)

 
「薬王子大権現」、現在の「薬王子神社」は
「少名比古那命」の神陵の遥拝所であります。
 
と、いうことは以前に書いた「九王野神社」が神陵跡と考えても良いのではないでしょうか。
 
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(九王野神社)

「九王野神社」は祭神の神名は不明でありますが疱瘡に御利益がある神。

九王野明神(九王野神社) - awa-otoko’s blog

 

その点、「少名比古那命」は国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持ちますが、酒は古来薬の1つとされることから医療の神のイメージが強いです。
 
繋がりがあると思いませんか。
 
少し「薬王子神社」についての情報を書いておきましょう。
王子神社は浦ノ池の氏神で「西の宮」とも呼ばれる。
神社の起源は古く、伝承によると、承和(9世紀)の昔、阿波の国司としてやってきた山田古嗣(ふるつぐ)が、浦ノ池を築いた時に祝祭した。
この神は疲病流行の時祈願すると効験あらたかで、「薬王権現」と称されていた。
明治元年奇玉(くすたま)神社と改め、更に明治100年に当たり薬王子神社と改めた。神社には古い棟札が残され、現在の社殿は嘉永元年(1847)のものである。
この薬王権現は、日和佐の薬王寺のもとで、こちらではやらないので日和佐へもっていった。厄除けはこちらが本家と宣伝をしたのが効いたのか、10月の祭礼には多くの参拝客が訪ずれるようになった。
「薬王子」とは薬の王を指します。
 
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やはり「九王野神社」と「薬王子神社」同じ神を祀っていると考えて間違いないでしょう。
そして後々に日和佐の薬王寺に御神体を持っていったのでしょう。
 
「医王山 薬王寺」についても情報を少し。Google マップ
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって行基菩薩が開創したとされている。
弘仁6年(815)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇嵯峨天皇淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。
文治四年(1188)、火災で諸堂を焼失しているが、このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。
 
空海が絡んでいること、そして本尊が秘仏になっていることが怪しい。
そして医王山という山号。まんまの薬王寺
 
書き出したらきりがないのでこの辺で切り上げますが、県南 日和佐の薬王寺が遠いと感じる方は土成町浦ノ池に鎮座する「薬王子神社」の参拝をおすすめします。
 
きっと「少名比古那命」が御利益を与えてくれることでしょう。