awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

海人族の神々(住吉神社)

 

 

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文治元年(1185)、源平合戦の折、屋島に集結した平家討伐に向かう源義経の軍は阿波勝浦に上陸、藍住町の南岸にやってきた。
吉野川の水が溢れ渡れないでいると、里人がやってきて対岸の海の神「住吉大明神」に祈念するように勧めた。
その忠告に従い祈念すると、二羽の白鷺が飛んできて、浅瀬を知らすように先導したので義経軍は無事に千鳥ヶ浜へ上陸することができた。
義経は住吉大明神へ白鷺先導のお礼と戦勝祈願の後、この地で兵と物資を調達して、大坂峠を越えて屋島に向かったと伝えられる。(板野の伝説より)
こんな偶然に白鷺が飛んで来て誘って川を渡れると思いますか。(笑)
 
義経はこの「住吉大明神」を古からの神威がある社と知っていて寄ったのでしょう。(義経は阿波に残る神代からの古跡を辿り、戦勝祈願を行っている)
 
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中世では阿波の古跡や伝承がまだ明確に伝えられていたと思われ、このように源氏、平家共に何らかの形で阿波に関与している形跡が残っています。
 
 
さあ、本題に入りましょう。
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住吉大明神こと住吉神社です。
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
 
さらっと書いてしまいますが、、、
 
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で

当社は全国住吉神社の元社にあたります。

徳島市住吉にある住吉神社は蜂須賀がこちらを移遷したもの)

 
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族ですね。
 
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大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命中筒男命表筒男命を御舟に祀っていました。
 
百済征伐の帰りに当地に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのでしょう。
(現在の吉野川本流は別宮川と呼ばれた支流。住吉神社の南側の川が本来の吉野川本流であり、河口に繋がっていた可能性が高い。)
 
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られています。
 
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島
 
審神者で顕れた淡郡の嚴事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社事代主神社」で祀られています。
 
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違います。
皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのでしょう。
 

そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神

この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのです。

底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命事代主命

中筒男命は北に続く小松島市徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)

表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)

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神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳です。
そしてこの神威にあやかろうとした義経
あれ、ここは空海の名前は聞こえてこないなぁ…(笑)
 
今日はこれにておしまい。連休明けなんでね。(笑)
 
阿波の住吉神社ですが、実際に目の当たりにすると神殿の迫力に圧倒されます。
機会があれば是非参拝してみてください。