awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

眉山に神武天皇像がある理由

今回はさらっとダイジェスト的に流しますw
 
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モノクロ写真は明治時代の神武天皇
 
神武天皇銅像は日本に2体、阿波徳島と日向(宮崎県)のみしかなく、非常にめずらしいものだそうです。
 
日清戦争の記念として明治30年に建立され、銅像は高さ約6mほどあります。
(ぱっと見、等身大みたいに見えますが、実際目の当たりにすると大きいです。)
 
ひとつの資料では明治天皇の指示で乃木大将(乃木希典)がお金を払って建てさせたもの。
鋳造師が「神武天皇を知らない。」ということで、乃木大将は明治天皇の写真を持参し製作させたそうです。
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おっと失礼w これは犬に吠えられて無視するおっさ… もとい、モラエスさんです。(眉山山頂公園にあります☆)
 
ところで徳島在住の方でもなぜ神武天皇銅像の建立場所に阿波徳島の眉山が選ばれたのか不思議に感じることはありませんか?
 
私は眉山(以の山)が古代天皇、古代皇族所縁の聖なる山であるからと考えています。
 
その理由として当地より東側にある毛受ヶ原「ササギの抜け穴」=「仁徳天皇陵墓跡」があります。
これについては仁徳天皇の諱が大鷦鷯尊(オホサザキノミコト)であるから「ササギ」、盗掘跡で空であったため「抜け穴」となっています。(現在は摩耶姫の墓)
 
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また西側、眉山カントリー内にある「八人塚古墳」については「建速須佐之男命(スサノヲノミコト)」の陵墓。
 
麓の豊崎八幡神社は「孝徳天皇皇居跡」、「孝徳天皇の御陵」と伝わる「穴不動古墳」。
高良(こうら)の峯古墳には「武内宿禰(皇族)」。
 
産八幡は「応神天皇の産まれた宮」、「恵解山古墳は応神天皇陵墓」。
 
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聖徳太子墓所である法谷寺の奥、「祟り谷古墳跡」と調査しだすとキリがありません。
 
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今回はダイジェストで流したので、個々の詳細はまた今度。(気が向いたら書くかも)
 
眉山は調べれば調べるほど面白いっすよ。