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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

曾我氏大明神は蘇我氏の祖廟(曾我氏神社、石川神社、石井廃寺跡、童学寺)

名西郡石井町城ノ内には「曾我氏(そがうじ)神社」が鎮座しています。

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こちらの「曾我氏神社」は祭神が「彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)」と「木花咲耶(このはなさくや)姫命」、「曾我氏大明神」です。
 
そのうちの一柱 、「曾我氏大明神」は曾我兄弟ってことになってますが、こちらも例によって祭神がすり替えられているんです。
 
とりあえずは現在の祭神とされている曾我兄弟のエピソードも読んでおいてください。 曾我兄弟の仇討ち - Wikipedia
 
それでは分かりやすい内容で「道は阿波より始まる」から引用させて貰いますと、、、
日本書紀」に天豊財重日帶比賣(アメノトヨタカライカシタラシヒメ)(皇極)御宇の記事に「蘇我大臣蝦夷立己祖廟於葛城高宮而為八佾之舞」とあるが、この社がその蘇我氏の祖廟 蘇我氏神社」である。
ハイ。私もそう思います。
 
それ以外にも、これはおかしいって気づいた人(永井精古)がおりまして、阿波国見聞記、粟の落穂という江戸末期の郷土文献にも以下のような内容が記載されています。
名西郡城内村に曾我氏大明神と申す社坐せり、里人は曾我十郎祐成同五郎時宗を祭れるよしいへど、然にあるまじきが(縁起あれともむげにつたなきものなり)、年長按に、延喜二年板野郡田上郷の戸籍に宗我部といふ氏あり、また永禄元亀などのころの奥書ある古城記に蘇我氏といふも見えたれば、其の氏人此の国に住しが其の社祖先を祀りし社にあらざるか、又永井精古が考あり
其の説に云、里人は曾我兄弟を鎮ひ 祭りしといへども信じがたし、父の仇祐経を討しは美賞(ほむ)べけれど、此の里に祭るべきいはれあるべからず、今按、孝徳天皇の御宇に蘇我倉山田石川麻呂太宰帥日向臣に譖(しこち)られて罪なく、大倭国山田寺にして経(わな)きて身亡き、此の事に坐(かかり)て彼絞者九人被流者五人と書記に記せり
此の彼流者の中に此の国に来しも有べし、石川麻呂は実に忠良の士なれば傷み惜(あたら)しみ、且大臣なれば尊みて其の氏の爰に祭りしなるべし、同郡市楽村に石川大明神といふ有、是も同じ大臣を祭りしとは思はるるなり、照し考ふべし、其の社の前なる畠を石川のくぼといふなり、大和ノ国高市郡宗我都比古神社あり考合すべし、応神紀なる石川宿弥を祭りしといへり
こちらは蘇我氏神社も石川神社も石川麻呂を祀るのではないかといってますね。
 
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そもそも蘇我石川麻呂蘇我氏宗家を裏切った分家であり、蝦夷、馬子、入鹿と同じくして祀られていいものなんでしょうか。
(昔から氏族の血脈を守るために同氏族が別の勢力に別れる場合もありますが… )
この点もよく調べてみる必要があると思います。
 
その他、蘇我氏神社の真西、気延山の麓に「石井廃寺跡」がありますが、、、こちらは日本最古の私寺跡ということで古代、蘇我氏が建立したという話も残されています。
 
石井廃寺跡は、童学寺の前身であると云われております。金堂、三重塔などの建物跡が検出され、東に塔、西に金堂が建つ、法起式伽藍配置であったとのこと。
 
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気延山は200基ほどの古墳が確認されていて、その中のいずれかを弔う目的も含めて寺が建立されているのではないのかと。
 
ここだけの話、地元の方が畑を掘ると…いろいろな古代の遺物が出てくるそうで、鉄の塊であったり、古瓦だったり… 稀に立派な古瓦が出土して○○○に持っていくと、当地から出るはずはない(時系列が合わない)という理由で専門家が頭を悩ましたとか。
 
そして、その石井廃寺跡の真西には童学寺があります。そして、またここでも空海の名が出てくるのです。
 
童学寺空海が7〜15歳まで書道や密教などを学び、「いろは四十八文字」を創作したと伝わります。
 
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蘇我氏神社についてはまだまだ書かなければいけないことがあるんですが、今回は蘇我氏がテーマなのでここまで。
 
当然ですが中臣(那賀の登美)氏も阿波に居ましたよ。