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阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

轟ノ滝

所在地: 海部郡海陽町平井


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轟の名のごとく大地を震わす瀑音は豪快そのもの。
上流にはさまざまな滝があり轟九十九滝と呼ばれています。(九十九の滝があるのではなく沢山あるという意)

轟神社 摂社「本滝神社」の御神体である「轟ノ滝」はその昔、「鰈(かれい)明神」と呼ばれ、以下の話が伝承されています。

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  • 平井村にある轟瀧は鰈の瀧とも呼ばれ、此瀧壺である深い深い淵の中には大きな鰈が住んでいると言い伝えられている。(「粟の落穂」)
  • 樵夫(きこり)は、山上で切った材木を毎日此瀧に流し落として里へ出すのを恒としているが、数日を経ても沢山の材木残らず瀧壺にくくまれたままで川下へ流れ出ない事がある。材木が流れ出ない時は瀧壺の沼を加禮伊(かれい)明神で、瀧祭という神事を営むと忽ち数多の材木は流れ出ると云われている。(「阿波名所圖繪」)
  • この加禮伊明神の御神火というものは、年毎に二三度、渓水に添うて川を下り、海に出ると紀州に渡り、日を経てお帰りになるという事である。谷筋、海浜の人達は「御神火のお渡り」と言って、丸い形の御神火を拝みに出る者も多いということである。この御神火は「鈴が峯の神火」であるとも言われている。(「粟の落穂」)
  • 「轟の滝の近くで紀州熊野の那智の滝の話をすることは禁物であり、那智の滝とどちらが大きいだろうとか、またはこの滝の高さを測って見ようとしたりすると、必ず神のたたりがあった。」(「燈下録」)

以上の伝承が残されています。

このことから熊野 那智大社と海部 鰈明神に何らかの繋がりがあったのではないでしょうか。

轟神社は深い山中に鎮座しているにもかかわらず「海運向上、航海の神」として祀られています。
これが紀州 那智大社と海部 鰈明神の繋がるヒントですね。
鰈明神の御神火は神を乗せて行き来する舟の灯り、または神事の灯りであったのではないのでしょうか。



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宇奈爲神社と大轟の滝(宇奈爲神社) - awa-otoko’s blog