awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

木地師と修験者の聖地

一宇村の中心である古見から片川谷沿いに林道を進めば木地師の集落 木地屋に行き着く。海抜800から1000㍍の急斜面を耕す住民、その先祖は昔盆や椀の木器をつくる木地師であった。半田漆器の材料を製造していたが、大正時代の末に半田塗りがすがたを消すと和…

阿波三好氏は住吉神社の祭官家

阿波三好家は清和天皇からの出自で本姓は源氏である。阿波国との関わりは、小笠原長清が承久の乱に源頼朝に従い阿波の守護に補せられたことから始まる。三好家は名門小笠原氏(信濃源氏)の庶流とされ、鎌倉時代に阿波守護であった阿波小笠原氏の末裔であり…

朧夜皇子が隠したもの

阿南市日開野町に鎮座する皇子神社は全県下に霊験あらたかなる神々の社として多くの修験者から厚く信仰されています。 創立年代は不詳。祭神は大己貴命。寛保神名帳には「日開野王子権現、別当石塚村正福寺」、阿波志に「王子祠日開野に在り」と見えます。資…

古代の女神達を鎮めた川除大明神と龍王

(字が見えにくい〜。) 川除けとは堤防のことである。川除大神宮は龍蔵堤の守り神として祀られたものである。西から流れ来た吉野川とその支流、新宮川(現在の神宮入江川)はこの付近ではほぼ直角に流路を転じ、北流していた。このため徳島城下を洪水から守…

灰燼に帰した童学寺(本尊以外の伝承物はどうなった!?)

2017年3月25日午後5時30分頃、庫裏(住居兼台所)が火元とみられる火災が発生した。本堂及び庫裏などの建物が全焼したが御本尊の木造薬師如来像は運び出されて無事だった。 (3/25 火災の様子) はい。火災の記憶が新しい童学寺でございます。あの火災からど…

神が去った阿波を統治した氏族

はい。Facebookのブログ投稿にてちょっとだけ告知したモザイク半分の謎の書。それは「阿波国古城諸将記」でございました。こちら元亀四年に記されたもので題名の通りに阿波の古城とそれを治めた城主を説明している書なんですね。 阿波国開主太玉命也 忌部主…

阿波で相伝される宇豆売の舞

鳴門の撫養(岡崎城)跡に鎮座する妙見神社に参拝した折、太々神楽を間近で見学することができました。今回は伝承を絡めながら紹介したいと思います。 まずは鳴門妙見神社のご紹介から。 撫養に没した室町幕府10代将軍 足利義植が妙見尊星を勧請し社殿を造営…

水都 徳島 : 渭水の役割

徳島城はJR徳島駅の北側にあり、徳島市の中心部に位置する。吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城である。渭山城・寺島城この地は鎌倉時代より伊予国地頭の河野氏が支配していた。…

いもじ村の天目一箇命は治水技術も伝承させたのか?

吉野川にかかる六条大橋北方の上流、高瀬潜水橋の近くに立派な神社が鎮座しています。天津彦根命の御子神、天麻宇羅命(あまつまうらのみこと)、天之麻比止都禰命(あまのまひとつねのみこと)とも呼ばれ、天照皇大神が岩戸に隠れたときに刀斧・刀物・鉄鈬…

新田大明神の居城 八つ石城址

阿波西部の山間奥地を開墾した者は地方豪族や源平合戦、南北朝争乱、応仁の乱等の落武者などであったと推察されています。 八つ石城はそれら山岳武士が立て籠もった城でありました。頂上の周囲を三段にきった横掘と攻撃軍が横に連絡できないように造られた縦…

御諸(ごしょ)の大墓宮と吹越大明神の謎

現存する處の一條五條七條の村名は、御所を設くるにつき京都の御所に倣ひて一條より七條まで定めし者の残れる傳なり。一條五條七條は大墓宮と傳ふ。 Facebookにて独り言として掲載した文ですが、実は続きがありました。「御所屋敷の南方にあり大墓宮は土御門…

秋月氏は粟国造粟凡直の一族

秋月村光勝院址の西方にあり。細川頼春の築く處にして季子詮春これに居る、後勝端に移るに及び秋月中務太夫居住せり。 秋月城(あきづきじょう)は、室町時代の阿波国阿波郡秋月庄(現在の徳島県阿波市土成町秋月)にあった日本の城。阿波市指定史跡とされて…

吉野五条祠は土成高尾 熊野の元社

永禄元年(一五五八)に大旱魃が起り、七条城城主 七条兼忠が宮川内谷で雨乞いをした。ところがこの地域の宮川内谷川流域は年々水害が甚だしいために兼忠は五条城主 高志下野守、西条城主 西条監物と相談し、五条神社を土成村高尾の熊野神社へ遷座した。その…

デジャブで勧請かよ⁉︎ 鳩の原八幡宮‼︎

承平四年(九三四)、阿波国の国司になった藤原国風が巡視する際に八幡大神の御前で白鳩が群れ遊んでいる夢をみたという。当地までやってくると夢と同じ光景が眼前に繰り広げられてひじょうに驚き、都より岩清水八幡大神の御分霊を奉迎し、二百歩四面を画し…

吉野に存在した悪女と戎の城

西条戎台上に高櫓あり。その周囲に館構にて東西二百歩、南北百五十歩、その内外に濠を巡らし大樹あり、櫓の高さは弐丈五尺(約七、五㍍)ありき。 阿波市吉野町、阿波九城に含まれた西条東城 別名 戎城(えびすじょう)であります。築城年は貞和二年(1364年)…

百済王の末裔 飯尾の城

ご無沙汰してます。久しぶりの投稿です。いろいろ投稿したい内容はあるのですが、ブログ作成に気乗りせず現在に至っております。更新を楽しみにしている方はお待たせしました。(いるのか?そんな変人w)さて今回は(リハビリを兼ねて 笑w)さらっと古城関係…

もう一つの羽落神社伝説(戦国時代編):東条関兵衛 栗栖の城

前回投稿した羽落神社のスピンオフになります。古代史関係から外れて戦国時代のお話になりますので、興味がない方はスルーしましょうwww 桑野駅の東方、小高い丘に羽落神社の飛地境内社として杉尾神社が鎮座しています。当地は万福寺(奥之院)跡であり、往…

忘却の山幸海幸伝説(海幸彦は天牟良雲命編)

羽落神社 主祭神 天牟良雲命創立年月不詳。阿波国の開拓祖神として御功績顕著なるに依り、古くより鳥取大権現と尊び参り、寿命守護神悪魔除の神様と信仰四方に聚め御神徳御霊験は厚く、県内は勿論県外より参客あり。燈明千番を献り日夜絶えない。「寛保帳」…

忘却の山幸海幸伝説(長国ヒコホホ峠編)

神代の古い物語は長国 阿南市新野の廿枝(はたえだ)にひっそりと伝えられていました。当地には彦火火出見(ひこほほでみ)尊がお留まりあそばされた御在所が存在したという伝説が残されています。 【彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)】 彦火火出見尊・…

安閑天皇を祀る飛蔵宮

土成町宮川内の奥に飛蔵山(ひそやま)という山がある。飛蔵山は御祭神として第二十七代 安閑天皇を奉斎する吉野神社が古くから鎮座していたと伝わる。吉野神社は神仏習合の時代に飛蔵宮(ひそみや)または蔵王権現と改称され、山伏をはじめとする修験道の一…

勝浦日向山の大日孁神

(気延山 山頂 古墳跡) 永正年間弥生月のある日、平家の一族である阿佐家の権三郎という人が長奥(那賀の奥)の親族宅へ向かうために祖谷から木屋平を通り、おばこ峠を越えて高鉾の西谷薬師谷を通過していた。日向山(日浦山)の太平に来た時には日が暮れて…

仮説:猿田彦神が韓背宿禰の祖であったなら?(佐那河内 猿田彦大神宮)

えーっと、Facebookの方でさわりだけ投稿していた佐那河内村の猿田彦神社(大神宮)の所在地。まだぜーんぜん調査は進んでないんですが、とりあえず一次報告として私の妄想を掲載しますのでお付き合い願いたいと思います。 ヒントで掲載すた古文書の写真は、…

バンザイ板西城 栖養の里には何がある?!

榮村古城にあり、藤原師光の六男、近藤六親家の築く處たり、源義經勝浦尼子浦に上陸するや親家東道となりて功あり、親家子なし乃ち赤澤兵庫守を養うて嗣と爲し、城を讓りて自らは勝浦郡新居見の山上に隠棲す、世に之を板西殿と稱す。宗定また子無く城廢す、…

豊穂ハ豊茂理亦ハ豊成ナドノコトニヤ

続日本紀 延暦二年十二月甲辰阿波人正六位上粟凡直豊穂任國造トアリ、粟国造ノ本姓 粟凡直ナル事ヲ知ル可シ。此「豊穂 」ハ「豊茂理」亦ハ「豊成」ナトノ事ニヤ。 『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く…

高彦根山と弘法大師

平安初期の延暦二三年、空海と最澄は遣唐使の船に便乗し中国の唐に渡った。最澄は翌年に帰国して比叡山延暦寺を開基し天台宗を広め、空海は延暦二五年、年号が改元され大同元年となったこの年に帰国し真言宗を広めたのである。 空海は最澄と同じように宗の開…

熊野権現と阿波

熊野権現とは熊野三山の祭神である神々をいい、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ)・速玉・牟須美(ふすび、むすび、または「結」とも表記)のみを指して熊野三所権現、熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。(Wikipediaより) 後…

千波足尼(ちはのすくね)。名前の由来

(栗生野) 国造本紀に云う粟国造とは、軽島豊明の帝[応神天皇]の御世に高皇産霊尊の九世の孫の千波足尼を国造に定められたとあります。粟国造である千波足尼(ちはのすくね)ですが、とある書にて名前の由来が明記されていましたのでここでご紹介致します…

2017年 明けおめことよろ。

新年明けましておめでとうございます。 今年の初詣もawa-otokoは粟国魂神 大宜都比売命にご挨拶してきました。 (上一宮大粟神社) (一宮神社) (天石門別八倉比賣神社) 今年もawa-otoko's blogをよろしくお願いいたします。(о´∀`о)

粟國造家が通った祭礼の道

久しぶりの更新です。ついつい更新を伸ばしていたら大晦日になってしまいましたwww さて、年末の休暇を利用して粟國造家が大粟山まで通った「粟國造家の祭礼の道(←勝手に名付けたw)」を歩いてきました。2016年の最後はこの大宜都比売命と粟國造家に関連す…

Legend of TAMETOMO‼︎

源為朝所縁の地は穴吹町宮内の白人神社ではなく、二戸谷流域の一帯が為朝の歩んだ所である。 こんな話が旧木屋平村には昔から伝わっている。 為朝を祀る白人神社は二戸と南二戸の二ヶ所にあり、宮内の白人神社は、もともと木屋平村市初にあった。 昔の大洪水…