awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

阿波郡

二体の本尊

切幡寺には本尊が二体存在する。一体は正面南を向いているもので、これは弘法大師作の千手観音像である。他の一体は本堂を北に廻って北面に鎮座してる。これは即身成仏した乙女の尊像であり、未だ開帳を許されたことがない秘仏と伝わる。寺号が得度山潅頂院…

連れて来られた事代主神、そして謎の鳥たち。

武布津神が出雲を平定して天照大神に奉告するため事代主神を道づれにして阿波へ来た。一行は讃岐の志度に上陸して日開谷を過ぎて伊笠山麓付近に来た。その時忌部族は、高天原族等の不意の浸入を咎めてこぜりあいがあったが、やがて忌部族長 天日鷲命は武布津…

御諸(ごしょ)の大墓宮と吹越大明神の謎

現存する處の一條五條七條の村名は、御所を設くるにつき京都の御所に倣ひて一條より七條まで定めし者の残れる傳なり。一條五條七條は大墓宮と傳ふ。 Facebookにて独り言として掲載した文ですが、実は続きがありました。「御所屋敷の南方にあり大墓宮は土御門…

秋月氏は粟国造粟凡直の一族

秋月村光勝院址の西方にあり。細川頼春の築く處にして季子詮春これに居る、後勝端に移るに及び秋月中務太夫居住せり。 秋月城(あきづきじょう)は、室町時代の阿波国阿波郡秋月庄(現在の徳島県阿波市土成町秋月)にあった日本の城。阿波市指定史跡とされて…

デジャブで勧請かよ⁉︎ 鳩の原八幡宮‼︎

承平四年(九三四)、阿波国の国司になった藤原国風が巡視する際に八幡大神の御前で白鳩が群れ遊んでいる夢をみたという。当地までやってくると夢と同じ光景が眼前に繰り広げられてひじょうに驚き、都より岩清水八幡大神の御分霊を奉迎し、二百歩四面を画し…

吉野に存在した悪女と戎の城

西条戎台上に高櫓あり。その周囲に館構にて東西二百歩、南北百五十歩、その内外に濠を巡らし大樹あり、櫓の高さは弐丈五尺(約七、五㍍)ありき。 阿波市吉野町、阿波九城に含まれた西条東城 別名 戎城(えびすじょう)であります。築城年は貞和二年(1364年)…

阿波三國説から出てきた様々な推測

以前に粟、長、麻植の起りを投稿をまとめた内容です。 もちろんソースの古文書は転載しましたが、とてもめんどくさいので訳してません。それでも良ければ読んでみて下さいね。(≧∇≦) 上古當国は大きく三國に分かれ有りしなるたし。即ち粟と云う縣、麻植と云…

倭迹迹日百襲姫命は第二の大宜都比売命であり卑弥呼であったのか?

阿波古代史ブログの重鎮 ぐーたらさんがやっと重い腰を上げて大宜都比売命について書きだしました。ぐーたら気延日記(重箱の隅):http://goutara.blogspot.jp/?m=1大宜都比売命の解明はぐーたらさんに任せて、こちらはいろいろ手を広げていきます。 大宜都…

神の境界線

阿波忌部族が粟を植えたと伝わる「粟島(善入寺島)」には天日鷲神を祭神とする「浮島宮」と天日鷲命の兄弟神である天津羽命が祭神である「八条宮」が鎮座していました。 八条宮(神社)で祭祀されていた天津羽命とは阿波咩、阿波波神、阿波の神、阿波津比賣…

阿波が粟であるために

名西郡なる大粟山 國号起こりし由の古傳にありて 今猶大粟一谷の諸人とく知るところなり 粟を蒔き専ら御食功徳坐て御名を大宜都比売神亦の御名を大阿波女神と美称奉り 其粟を蒔き給ひし地を大粟山 亦名 粟生山と云ひ 国号を粟国と云伝ふ也 阿波国内には阿波…

蔵本三谷の少彦名命(佐古 椎宮神社)

加茂名村 蔵本三谷に粟島神社あり、少彦名命を祀る。元阿波郡柿原村にありしを徳島城裏鬼門の守護として佐古十四丁目に置き、當時附近一体の地茫漠たる柳原なりしを以って柳原の名に呼ばれたり、其の後三谷に遷り以って今に至る、里俗祭神を女神と稱するは美…

奈良の地名(市場町 奈良坂)

記紀において崇神紀十年に那羅山、垂仁記に那良の戸、応神記に那良山、仁德記に那良•那良山•那良の山口などを確認することができます。 これらは全て阿波の奈良街道沿いの地名と考えられ、「那良(奈良:なら)」の原意は「水の清らかな地」からきているよう…

元祖 忠犬の墓

捕鳥部 万(ととりべ の よろず、生年不詳 - 用明天皇2年(587年)7月)は、飛鳥時代の武人。姓はなし。捕鳥部(鳥取部)は鳥を捕捉することを職業とした品部。物部氏の本拠である河内国には、鳥取部の伴造氏族で、角凝魂命の三世の孫である天湯川田奈命の後…

小碓命から倭建命へ そして東道巡行(東道神社)

今回は倭建命(日本武尊)のお話。 古事記と日本書紀ではストーリーに若干違いがみられます。 記紀の内容を別々に引用してみました。 【古事記】父の寵妃を奪った兄大碓命に対する父天皇の命令の解釈の違いから、小碓命は素手で兄をつまみ殺してしまう。そ…

壬申の乱 大野の丘(得度山潅頂院 大野寺)

壬申の乱で大海人皇子が祈願した寺、得度山潅頂院 大野寺は阿波市市場町にあります。 大野寺は天智天皇の建立とされる古刹。山号を得道山 潅頂院と号しているのは、天武天皇(当時は大海人皇子)が出家し「陛下の為に功徳(のりのこと)を修はむ」として仏門…

城王山の九王野神社(三諸山)

さて、以前から九王野神社をテーマにして書いておりましたが、最近、新しい発見(妄想)がありましたのでご紹介したいと思います。 「土成町の御所山は御諸山(みもろやま)である。」という説を推していた訳ですが、何と「九王野神社」が別の場所に移遷され…

高天原の武神 建御雷神(建布都神)

徳島県阿波市市場町香美に鎮座する建布都神社。 (香美に鎮座する建布都神社) 建布都の神とは高天原から葦原中つ国に降り、大国主神、事代主神、建御名方神を服従させて国譲りを承諾させた建御雷神(タケミカヅチ)の別の名。 もちろん当ブログで紹介する神…

「八重 事代主神」と「厳 事代主神」

さてさて、事代主神(ことしろぬし)。かなり複雑に広がりをみせる神です。 託宣神のほか、国譲り神話において釣りをしていたことから釣り好きとされ、海と関係の深いえびすと同一視され、海の神、五穀豊穣商売繁盛の神、としても信仰されている。七福神の中…

「蛭子」は何者?

大海原に天の樟船で流された蛭子を和修吉(わじき)龍王が拾って養育しエビスと名付けた… (舎心山 太龍寺縁起より) これに関連するのが那賀郡 鷲敷町に鎮座する「蛭子神社」であります。 通説では伊邪那岐、伊邪那美が最初に産んだ子が蛭子(ひるこ)。 こ…

「にぎはやひ」から「はやひ(し)」(饒速日命)

「本郡林村郷司谷に宮居せる神ありて、河畔に梅林をつくり給ひ、自ら慰みておはせ事ありき其後 開化天皇の御宇、伊香色雄命来りて同村日吉谷に宮居し給ひし頃、梅林を東西に分ちしと伝ふ。」(阿波郡誌) 物部氏、蘇我氏、葛城氏等、朝廷の伴として仕えた倭…

倭迹迹日百襲姫命の殯宮跡(箸供養)

「箸で陰(ほと)をつきて薨(かむさ)らりましぬ、乃(すなわち)大市に葬りまつる、故時人(かれときのひと)、其の墓を号(なづ)けて、箸墓といふ」 孝霊天皇の御子 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)。日本書記 崇神天皇条に記された…

阿波の玄関を監視する高安城(西照神社)

阿波と讃岐の間を走る阿讃山脈の峰のひとつ大滝山。 その大滝山に「西照神社」は鎮座しています。 神社は尾根付近、山頂部が倭の高安城(たかやすのき)と推定されています。 高安城 - Wikipedia はい。Wikipediaではあまり詳しく触れられていませんね。とり…

空海が関係する三つの寺(太龍寺、焼山寺、大滝寺)

あぁ… まためんどくさいテーマを選んでしまいました…さぁ、ぐずぐず言わずいっきに江戸〜明治の文献から三つの寺を紹介していきます。 太龍寺舎心山 太龍寺は那賀郡賀茂。和食。水井。細野。中山。阿瀬比。の山々の頂に有り、此の六ヶ村より登るに近きは二十…

拝府のしめかざり(阿波町 伊勢神社)

下分の拝府・樫谷・暮石では正月のしめかざりをしないという伝承を受け継いで、今も注連飾りをしない。そのことについてこのような伝説がある。昔、正月 15日の朝、ある若者が拝府の戸に出て来て、「拝府・樫谷・暮石のものみんなよってこい。正月の神さんが…

明多意神社と妙体神社

徳島県阿波市阿波町の妙体山の山頂に鎮座する2つの神社です。 向かって右が阿波市阿波町「明多意神社」、左が美馬市脇町「妙体神社」となります。 両社の祭神は「木花咲耶姫命」となっています。 実は頂上まで自動車で行ったのですが、道程は道が狭いうえに…