阿波の神社巡り
えーと、、、前回の記事より続きとなります。前回は麻植の章として牛島八幡神社が「苧(麻:お)宮→大宮(おおみや)」へ転訛した伝承を紹介しました。 お気付きの方がいらっしゃるかも知れませんが、今回は微妙に題名を変えてます。これは麻植の章で書いた内…
吉野川市鴨島町牛島には天日鷲命を主祭神とする「牛島八幡神社」が祀られています。 当社は古い時代の創建で、神山町阿川の二宮八幡神社の大般若経 嘉慶二年(1388年)の奥書に牛島八幡と記されており、室町時代には既に存在していたと考えられます。また牛…
前回は「月読み」とは天体学などに長けたシャーマンの名称、美郷村月野に存在した「月読命の宮」こと「斎社」について述べました。今回は「斎社」のその後について自説を含めながら進めたいと思います。 今鞍氏が居住していた美郷村月野では「鎌倉屋敷」と称…
種穂忌部神社の摂社に「日智子(ひちこ)王神社」がございます。種穂山登山道にこんな看板があるのはご存知でしょうか。(登山道幅は狭いし車を駐車する場所も限られるので、よほどマニアな人でないとこちらの大神宮を参拝する人はいないのではないかと思い…
ヤマト王権が確立してから宮廷祭祀を司った忌部氏と中臣氏。忌部氏は主に祭祀具の製造や調達、管理を行いながら宮殿の祈祷も中臣氏と共に担っていたのは皆さまもご存知の通りです。日本書紀には「中臣連の遠祖 天児屋命、忌部の遠祖 太玉命、相与に致其祈祷…
友内大権現は旧郷社であり神饌幣帛料供社。創建年代不詳。友内山一名木綿麻山の頂上の近く、阿波忌部の祖神 天日鷲命を祀り古くから山岳信仰の対象とされてきた。中世には阿波守護小笠原氏や細川氏の崇敬社となり、藩政時代は友内大権現と称した。のちに友落…
大通寺正覚院ハ今上角名大通寺良藏院といふ院内一派の修験なり。一宮城主小笠原氏と縁を組し事今に此村に言伝あり。又小笠原氏隠居家なりといふ説もあり。 小笠原長宗が粟国造家の神録を強奪して一宮大宮司と称したことはこれまで拙ブログ記事でも紹介済み。…
旧麻植郡 鴨島町樋山地は標高二五〇〜四〇〇㍍の高所に飛島のように忽然と開かれていた集落であります。多い時は約三十戸〜二百戸もあって栄えていたようですが、現在は廃集落となっています。(地主は時々来ているようです。) さて、この樋山地、このよう…
はい。今回は阿波国司庁跡の紹介です。題名にありますように、まったくもって国司庁跡とはわかりません。跡地はひと昔前から、一面田んぼに変わってしまっているからなのです。 (これな。) (国司庁跡に鎮座する天満宮) そんな阿波国司庁跡。現在では国府…
剣山の明神は、木屋平の龍光寺と祖谷の圓福寺両別當の相持ちにて社も大剣小剣の二に分れたり。村人は此神を安徳天皇の御剣なりと云傳ふれど、正しくは忌部神なるべし。さて此剣山の祭禮に山村の女子が白粉をよろほひて、其の上に紅を以つて額又頬に十の字を…
一宇村の中心である古見から片川谷沿いに林道を進めば木地師の集落 木地屋に行き着く。海抜800から1000㍍の急斜面を耕す住民、その先祖は昔盆や椀の木器をつくる木地師であった。半田漆器の材料を製造していたが、大正時代の末に半田塗りがすがたを消すと和…
阿波三好家は清和天皇からの出自で本姓は源氏である。阿波国との関わりは、小笠原長清が承久の乱に源頼朝に従い阿波の守護に補せられたことから始まる。三好家は名門小笠原氏(信濃源氏)の庶流とされ、鎌倉時代に阿波守護であった阿波小笠原氏の末裔であり…
阿南市日開野町に鎮座する皇子神社は全県下に霊験あらたかなる神々の社として多くの修験者から厚く信仰されています。 創立年代は不詳。祭神は大己貴命。寛保神名帳には「日開野王子権現、別当石塚村正福寺」、阿波志に「王子祠日開野に在り」と見えます。資…
(字が見えにくい〜。) 川除けとは堤防のことである。川除大神宮は龍蔵堤の守り神として祀られたものである。西から流れ来た吉野川とその支流、新宮川(現在の神宮入江川)はこの付近ではほぼ直角に流路を転じ、北流していた。このため徳島城下を洪水から守…
鳴門の撫養(岡崎城)跡に鎮座する妙見神社に参拝した折、太々神楽を間近で見学することができました。今回は伝承を絡めながら紹介したいと思います。 まずは鳴門妙見神社のご紹介から。 撫養に没した室町幕府10代将軍 足利義植が妙見尊星を勧請し社殿を造営…
吉野川にかかる六条大橋北方の上流、高瀬潜水橋の近くに立派な神社が鎮座しています。天津彦根命の御子神、天麻宇羅命(あまつまうらのみこと)、天之麻比止都禰命(あまのまひとつねのみこと)とも呼ばれ、天照皇大神が岩戸に隠れたときに刀斧・刀物・鉄鈬…
現存する處の一條五條七條の村名は、御所を設くるにつき京都の御所に倣ひて一條より七條まで定めし者の残れる傳なり。一條五條七條は大墓宮と傳ふ。 Facebookにて独り言として掲載した文ですが、実は続きがありました。「御所屋敷の南方にあり大墓宮は土御門…
永禄元年(一五五八)に大旱魃が起り、七条城城主 七条兼忠が宮川内谷で雨乞いをした。ところがこの地域の宮川内谷川流域は年々水害が甚だしいために兼忠は五条城主 高志下野守、西条城主 西条監物と相談し、五条神社を土成村高尾の熊野神社へ遷座した。その…
承平四年(九三四)、阿波国の国司になった藤原国風が巡視する際に八幡大神の御前で白鳩が群れ遊んでいる夢をみたという。当地までやってくると夢と同じ光景が眼前に繰り広げられてひじょうに驚き、都より岩清水八幡大神の御分霊を奉迎し、二百歩四面を画し…
西条戎台上に高櫓あり。その周囲に館構にて東西二百歩、南北百五十歩、その内外に濠を巡らし大樹あり、櫓の高さは弐丈五尺(約七、五㍍)ありき。 阿波市吉野町、阿波九城に含まれた西条東城 別名 戎城(えびすじょう)であります。築城年は貞和二年(1364年)…
ご無沙汰してます。久しぶりの投稿です。いろいろ投稿したい内容はあるのですが、ブログ作成に気乗りせず現在に至っております。更新を楽しみにしている方はお待たせしました。(いるのか?そんな変人w)さて今回は(リハビリを兼ねて 笑w)さらっと古城関係…
羽落神社 主祭神 天牟良雲命創立年月不詳。阿波国の開拓祖神として御功績顕著なるに依り、古くより鳥取大権現と尊び参り、寿命守護神悪魔除の神様と信仰四方に聚め御神徳御霊験は厚く、県内は勿論県外より参客あり。燈明千番を献り日夜絶えない。「寛保帳」…
神代の古い物語は長国 阿南市新野の廿枝(はたえだ)にひっそりと伝えられていました。当地には彦火火出見(ひこほほでみ)尊がお留まりあそばされた御在所が存在したという伝説が残されています。 【彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)】 彦火火出見尊・…
熊野権現とは熊野三山の祭神である神々をいい、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ)・速玉・牟須美(ふすび、むすび、または「結」とも表記)のみを指して熊野三所権現、熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。(Wikipediaより) 後…
久しぶりの更新です。ついつい更新を伸ばしていたら大晦日になってしまいましたwww さて、年末の休暇を利用して粟國造家が大粟山まで通った「粟國造家の祭礼の道(←勝手に名付けたw)」を歩いてきました。2016年の最後はこの大宜都比売命と粟國造家に関連す…
源為朝所縁の地は穴吹町宮内の白人神社ではなく、二戸谷流域の一帯が為朝の歩んだ所である。 こんな話が旧木屋平村には昔から伝わっている。 為朝を祀る白人神社は二戸と南二戸の二ヶ所にあり、宮内の白人神社は、もともと木屋平村市初にあった。 昔の大洪水…
徳島の剣山北麓にある旧木屋平村は平安初期に阿波忌部氏の一族が開いたと伝わり、平家の落人や阿波山岳武士の伝承が各地に残されていることは以前に投稿した通り。 中世では国衙領であった麻植郡山分の種野山に属し、三木名、河井名、大浦名などの名で構成さ…
阿波名勝案内大麻比古神社の項には本来三社によって祭祀していたと記載されています。記述によればその他にも境内社や摂社も現状とは差異が見受けられることがわかり、これはある時期に何らかの手が加えられたことが推測できます。往古の記録と現状との差異…
阿波井神社(あわいじんじゃ)は徳島県鳴門市瀬戸町堂浦に鎮座しています。 堂浦地区と小鳴門海峡を挟んだ対岸の島田島南部にあり、クスノキをはじめとする各種の古木に全山が覆われた中に社殿が建立されています。 神殿は元々、この山の背面にあたる内海に…
(神領上角川) 何かと忙しくていつもより投稿の間が空いてしまいました。「年末にかけてこの忙しさは何なんだ!(*_*) 」ということで、投稿できるタイミングの今、まだ誰も知らないと思われる情報をリークしておこうと思いますw 一宮氏祖 小笠原宮内大輔は…