awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

美馬郡

為朝の夢告げ

どうも。awa-otokoは阿波に来た(?)と伝承される源為朝を追い、過去には以下の為朝関連の記事を投稿しております。 いろいろ調べておりますとこの白人明神は昔からやたらと神降りや夢告げが多いのですよ。 美馬郡穴吹町口山の白人神社は源為朝を祀り、旧麻…

山崎忌部神社はどこから分祀されたのか⁈

忌部神社は神代に於いて石立山(剣山)に鎮祭して奥宮とし、更に衆庶の参拝の便を思って友内山に中宮を建立せるも、住民が次第に里分に移動するに及び次々と里宮を建立するに至った。従って端山の五所平は大宮司家の麻植氏が之を守護し、山崎なる天日鷲命神…

貞光の義人 原太郎左衛門を祀る三王神社

どうも。多忙でなかなか投稿する気にもならないところでアクセス数30万超過しましてありがたいやら申し訳ないやら。ということで急遽番外編 義人シリーズを投稿致します。(手前味噌で誠に申し訳ございませんな。( ´△`) ) 国道192号線つるぎ町貞光ゆうゆう…

一宇谷に白壁の家が無い理由

名勝一宇峡の奇観、土釜を見下ろして建つ記念碑があるのはご存知でしょうか。碑文の主人公は谷貞之丞。当地の困窮を救済した義人であります。今回も番外編、昔々の哀しい伝承です。 宝永の終わりごろに旱魃が続きで池や沼、井戸の水は枯れ、日毎夜毎集落の民…

貞光村の罪人六人塚

今回は貞光番外編。以前に投稿した内容では西側の氣の流れが停滞して云々… いうておりましたが、貞光村の伝承から見つけてナルホド、あの陰の雰囲気の理由がわかりました。まぁさらっと流し読みできるように書いた(つもり)なので読んでみて下さいな。 天正…

栂橋の古戦場と犬の墓(と、そばごや)

旧一宇村の古見地区には多くの名所旧蹟や古戦場があります。一宇では昔からお邸さんと呼ばれている旧家があり、ここの主人は代々天狗がついているという伝説があって実際に不思議なことが度々おこったそうです。この旧家は南朝の忠臣であった小野寺一族で、…

中鳥島 伊射奈美神社の元社跡に行ってきた☆

今は無人島になっている中鳥島。過去の大洪水から陸地より分断されて、なかなか島まで渡ることができませんでした。 年末年始にかけて中鳥島周辺の水量がひいているという情報を入手していましたところで、たまたま近くを通ったことでチャレンジしてきました…

古語拾遺の説誤りなる事を知るべし。

どうも。awa-otokoです。皆さんは「忌部広成」と「古語拾遺」をご存知でしょうか。知らない人の為に説明を付けておきますね。 忌部広成と古語拾遺忌部広成:生没年不詳平安初期の官人で「古語拾遺」の選者である。延暦22(803)年3月に忌部を斎部に改めてい…

古代の呪術都市か⁈ 旧貞光町

お久しぶり。awa-otokoです。今までに詳細を投稿した友内神社と御所神社(御所平)を除いた旧貞光町の神社をご紹介したいと思います。 旧貞光町内は東西に分けた祭祀対象が設けられ、また時間軸が異なる古跡が重なり合っている興味深いエリアです。今回に限…

安房国忌部系図からみる由布津主命 又名 阿八別彦命(アワワケヒコ)

どうもawa-otokoです。今回は阿波男ではなく安房男でいきますよ。なんてそんなことはどうでもいいとして冒頭に挙げましたのは「安房国忌部系」です。(※ちなみに野良猫さん、ぐーたらさんも過去記事で「安房国忌部系」を使用されていることを作成後に気付い…

児宮祭神 斎主命とは何者なのか?

あいも変わらず貞光忌部氏関連を調査しておりますawa-otokoでございます。 さて、「端山郷土史編纂要項」なる古書を読んでいたら「児宮神社本暦」の記載を見つけてしまいました。 なぜこのような重要なものが表に出ず埋もれていたのか不思議ですね。せっかく…

友内山 浮島とくしふる滝に行ってきた。

awa-otokoです。書ける時にまとめてブログを書いております。いやはや公では忙しい日々が続いておりますが、そんな時の休日の過ごし方はカラダをめいいっぱい動かすこと。 という訳で、最近課題が山盛りな友内山へ調査を兼ねて登山に向かったのですが、天候…

貞光墓は誰の墓⁈

貞光の地名に就て即ち「貞光は異本阿波志曰太田貞光殿とあり又阿波志曰或曰藤原貞光嘗居此、因名ともに人の名になしたれどいかがあらむ嘉祥年間宣命の寪に定満とあり又慶長八年の記を寪したるには定光とあり全く人の名と思れぬ處あり」と、併し異本阿波志に…

端山は母山の義なり(その弐)

はい〜。前回から端山付近について綴っております。続きでございます。 その前にトップの地図写真、アバウトな作りではありますが、なかなかよく見ると面白いのです。陵の位置が描いてあるだけではございません。まぁこの件は後ほど。 それでは本題を進めて…

端山は母山の義なり(その壱)

実に太古の話、四国の統名を伊豫というものと相通ず。伊豫は即ち祖の義なる母きか。祖谷山は親山の義。端山は母山の義なりと。蓋し祖志の説、進化せるものたり。 (吉良 御所神社) はい。今回は端山周辺のお話。冒頭に記した伝承に基づいて考察を進めて参り…

岡本監輔「祖志」にある高天原論

どうも。最近は忌部郷(穴吹、貞光、端山、一宇周辺)の説話や伝承に力を入れているawa-otokoです。今回はあの岡本監輔が明治二十三年に出版した「祖志」という書籍からの内容を紹介したいと思います。 (☝︎こちらが岡本監輔。) まず岡本監輔。こちらの御方…

三里四方の忌部聖地たる証拠

(家賀鎮座 児宮神社) 阿波国麻植郡忌部郷吉良御所平に鎮座する忌部大社は四国の一宮、天日鷲尊祭祀の本社で神代から鎮座していると伝承されていました。その口伝と伝承を物的証拠と文章で証明しようとしたのが吉良御所平忌部神社文書であります。 阿波国舊…

讃州白峯廟から持って来た崇徳院を祀る白人宮⁈

七十七代後白川院ノ朝保元ノ乱ニ新院ノ軍破レテ讃州ニ還サレ玉ヒ藤原頼長家司藤内左衛門範景入道シテ蓮心法師ト号讃州ニ来リ白峯ノ御墓ヲ拝シ草庵ヲ結御菩提ヲ弔フ処河野大領高遠ヨリ障ルノ義アツテ 阿波ヘ移リ当寺ニ寄宿シ三ヶ峯ノ神社ニ新院ノ御霊ヲ神ト仰…

友内山は高千穂神山

友内大権現は旧郷社であり神饌幣帛料供社。創建年代不詳。友内山一名木綿麻山の頂上の近く、阿波忌部の祖神 天日鷲命を祀り古くから山岳信仰の対象とされてきた。中世には阿波守護小笠原氏や細川氏の崇敬社となり、藩政時代は友内大権現と称した。のちに友落…

Legend of TAMETOMO‼︎

源為朝所縁の地は穴吹町宮内の白人神社ではなく、二戸谷流域の一帯が為朝の歩んだ所である。 こんな話が旧木屋平村には昔から伝わっている。 為朝を祀る白人神社は二戸と南二戸の二ヶ所にあり、宮内の白人神社は、もともと木屋平村市初にあった。 昔の大洪水…

滝ノ宮砦は剣山大権現の関所

徳島の剣山北麓にある旧木屋平村は平安初期に阿波忌部氏の一族が開いたと伝わり、平家の落人や阿波山岳武士の伝承が各地に残されていることは以前に投稿した通り。 中世では国衙領であった麻植郡山分の種野山に属し、三木名、河井名、大浦名などの名で構成さ…

阿波三國説から出てきた様々な推測

以前に粟、長、麻植の起りを投稿をまとめた内容です。 もちろんソースの古文書は転載しましたが、とてもめんどくさいので訳してません。それでも良ければ読んでみて下さいね。(≧∇≦) 上古當国は大きく三國に分かれ有りしなるたし。即ち粟と云う縣、麻植と云…

祠は朽ちても魂朽ちず…(小笠原神社・重清城址)

重清村字城名にあり、小笠原豊後守長政此に據り剛勇にして屢次戦功あり、天正六年大西城主大西出雲守三好に背き長宗我部に降るに及び、其子白地城主大西角養、其弟七郎兵衛、久米刑馬亮をして誘殺せしむ、時偶正月に會す角養等饗を城中に受く、酒酣にして忽…

古代の祭祀場、天桁山(あめのけたやま)

東宮山と峯続きにある山、「天行山(あまぎょうさん)」。阿波古代史の入門書ともいえる書籍「道は阿波より始まる(その三)」には、以下のように記されています。 蜂須賀治世時代の諸文献では「天行山」ではなく「天桁山」「桁村」が地名として使われている…

東宮山に頓宮したのは誰だ?

はい。いつものテーマには少し飽きてきたので今回は違うテーマで進めてみたいと思います。 個人的にとても気になっていた美馬郡、麻植郡、名西郡の移動の要所であった東宮山ですが、やっと登頂してきました。事前に古跡の位置も調べての現地調査だったので、…

木屋平 森遠の成願寺で!?

梅雨がやっと明けましたね。これからもっと気温が上がって暑くなりそうなので、今回はちょっと涼しくなるお話を含めながら進めたいと思います。 成願寺の庵主、南与利蔵の話によると、成願寺の無縁仏のある草地には、沢山の五輪塔の頭部がある。二〜三十個は…

六根清浄(剣山例大祭)

天照皇太神の宣く人は則天下の神物なり。須掌静謐心は則神明との本主たり。莫令心神是故に諸の不浄を見て心に諸の不浄を不見耳に諸の不浄を聞て心に諸の不浄不聞鼻に不浄を嗅て心に諸の不浄を不嗅口にて諸の不浄を言て心に諸の不浄を不言身に諸の不浄を触て…

田口成良の粋な計らい

(源平屋島古戦場跡 那須与一が扇を射た岩) 阿佐家の先祖は門脇殿と呼ばれていた従二位中納言 平教盛の二男、従四位越後守 平国盛である。国盛は讃岐の屋島の浦(壇ノ浦)の戦いに敗れた後、阿波の祖谷に逃れて住んだ。祖谷に逃れた平家に以下のような伝承…

木屋平から献上されるエレメント

大嘗祭(=新嘗祭)の儀式の形が定まったのは、7世紀の皇極天皇の頃だが、この頃はまだ通例の大嘗祭(=新嘗祭)と践祚大嘗祭の区別はなかった。通例の大嘗祭とは別に、格別の規模のものが執行されたのは天武天皇の時が初めである。ただし当時はまだ即位と結…

小杉榲邨は騙されたのか?(その弐)

前回からの続きです。その壱を見ていない人はこちらからどうぞ。 さて、粟凡直の末裔は忌部大社即ち忌部大神宮の所在地と、これまでの背景を細かく記録しておりました。 今の三好郡は美馬郡という。美馬郡・麻植郡は麻植一郡也。其の後、美馬郡を三好郡と改…