awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

空海の足跡

大日寺は船盡神社の別当寺(大日寺、船盡神社、一宮神社、船盡比賣神社、麻能等比古神社)

(大日寺) 四国第十三番霊場である一宮町 大日寺は弘法大師の開基にして蕉中分國中寺の近くにあります。 (一宮神社) しかし大日寺は元来、神山町 船盡神社の別当寺であり、一宮神社の別当寺であった神宮寺の廃絶と共に現地に移動して一宮神社の別当寺とな…

山津波(木屋平村 剣山龍光寺)

昭和51年(1976)、台風17号が停滞して豪雨をもたらし、木屋平村の富士ノ池、谷の両側山腹の地滑りが著しく山津波となって垢離取川になだれ込みました。 斜面が崩壊することによって河川が堰き止められて湖ができることにより発生し、水がたまり続けて限界を…

磯輪上乃秀真国是阿波国也(舎心山 太龍寺縁起)

天長二年、空海教王護国寺の管長になりて三年、阿波国太龍寺縁起金剛遍照撰を修め、「阿波国那賀郡舎心山太龍寺天神七代之内六世面足尊煌根尊降居坐磯輪上秀真国是阿波国也」と阿波国太龍寺に一文を寄せた。 これは倭奴国面土国王を長の国(那賀郡)の大王面…

目佐穴権現(和耶神社)

島根郷伊豆美。長川(那賀川)の河口より石門から牛岐、そして橘湾に面する現在の富岡と呼ばれる場所。 この島根郷伊豆美は神代より海人族の繁栄した場所で、この地の王が波邇夜須比賣(はにやすひめ)と孝元天皇の御子である「建波邇安王(たけはにやすおう…

滝の都 吉野宮(三野町 瀧寺)

日本書紀では大海人皇子の后 高天原広野比賣天皇(のちの持統天皇)が、たびたび吉野宮に訪れたことが記されています。吉野宮とは阿波での美野(よしの)。現在では、美野が三野と変わり三野町となっております。その三野(美野)町 加茂宮にある瀧寺が吉野…

山脊の水主(讃岐 水主神社)

倭迹迹日百襲姫命、都の黒田宮にて幼き頃より神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれ、7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られ、お船に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘、今の東かがわ市引田安堵の浦に着き、水清きとこ…

神主 市磯長尾市の旧跡(讃岐 長尾寺)

「日本書紀」によれば、元々倭大国魂神は天照大神とともに大殿に祀られていたが、世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは両神の勢いだと畏れられた。そのため崇神天皇6年、倭大国魂神を皇女渟名城入姫を斎主として祀らせたが、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて…

元祖 忠犬の墓

捕鳥部 万(ととりべ の よろず、生年不詳 - 用明天皇2年(587年)7月)は、飛鳥時代の武人。姓はなし。捕鳥部(鳥取部)は鳥を捕捉することを職業とした品部。物部氏の本拠である河内国には、鳥取部の伴造氏族で、角凝魂命の三世の孫である天湯川田奈命の後…

丹摺石(丹生谷)

丹摺(にずり)とは、古事記に記された物語の時代に行われた阿波のみの習慣です。 (太龍寺窟跡付近の腰宮神社) 那賀郡と勝浦郡との境の加茂谷は空海が「面足(おもだる)命下り居ませし、磯輪上乃秀真国(しわがみのほつまのくに)之阿波国也」と縁起を納…

日本一の五百羅漢(地蔵寺 奥之院 羅漢堂)

板野郡矢武村にあり。別当寺は庄厳院 地蔵寺。当寺は弘法大師の遺跡にして一本寺なり。此山に往古より羅漢原とてありける。去る宝暦の頃より願主ありて檀信を十方にもとめ、日あらずして広大の精舎を創建せり。此辺に筆塚とて古跡あり。 (阿波名所図会より…

奇跡が起こる岩窟(慈眼寺 穴禅定)

慈眼寺(じげんじ)は徳島県勝浦郡上勝町に所在する高野山真言宗の寺院。山号は月頂山。詳しくは、月頂山 宝珠院 慈眼寺と号する。本尊は十一面観音菩薩。別名「穴禅定の寺」。四国八十八箇所霊場第二十番札所奥の院、四国別格二十霊場三番札所。 (慈眼寺 …

法隆寺の元社と二体の観音像(救世山 峯薬師)

(救世山 峯薬師: 現在の法谷寺) 徳島市庄町にある「救世山峯薬師」、現在は「救世山大乗院法谷寺」。この寺は聖徳太子の父、用明天皇、崇峻天皇、そして聖徳太子の弔い寺であります。 (救世山 峯薬師 縁起) 寺の縁起によると、古 小治田宮(おはりだのみ…

阿波発心の道場に隠された秘密

阿波国で空海の伝説が多く伝えられているのは、当時すでに忘れられていた記紀神話の舞台や発源地、歴代天皇の葬場や宮跡などの霊地や由緒地を探しだし、これを聖地として守り伝えるため。 空海は真言密教の体系と作法で復元、民間信仰に結びつけていきました…

胎蔵界と金剛界(大窪寺 奥之院 胎蔵峯寺)

大窪寺(おおくぼじ)は、香川県さぬき市にある寺院。医王山(いおうざん)遍照光院(へんじょうこういん)大窪寺と号する。本尊は薬師如来。宗派は真言宗大覚寺派。寺伝によれば、奈良時代の養老年間(717年 - 724年)に行基が開基し、弘仁年間 (810 - 823)…

八岐大蛇は阿波の八郎(那賀川)

那賀川は昔から「長の国」の「長川」と呼ばれております。 なぜ「長(ナガ)」と呼ばれたのか… 一説には太古の昔、「ナーガ伝承」発祥の地であるインドから民族(ナーガ族)が移動し、当地(長の国)に文化をもたらした事が発端であると云われています。 「ナー…

太龍寺の不思議あれこれ

何かと年末の行事が忙しく、二三日投稿が滞ってしまいました… これと言っては何ですが、昔の文献から太龍寺の怪異を記した内容を入力してみましたのでご覧下さい。 舎心山 太龍寺は那賀郡加茂。扨其の後空海唐土天竺に渡り法を伝て帰朝有り、大師未だ高野山…

古の海の女神を祀る金磯弁天堂

桓武延暦の頃 僧空海恩山寺に於いて座禅瞑想修行の砌り東方海上の離島に龍燈を認めたり即ち船を雇して 入亀のすがた美しき此の島に上陸す梅の香も馥郁たる内に微妙の音楽につれ 迦陵頻伽瑞鳥相交わり 飛び交ふ中に容姿端麗にして威儀厳然たる一体の女神を拝…

薬王子大権現は古の医療の神(薬王子神社)

「吾をば倭の国の青垣の東の山に拝き奉れ」と答へいいたまひき、こは御諸山の上に坐す神なり。 式内「倭大国魂神社」が奉られる美万城(みまき)の東、御所村の御所山に「薬王子大権現」は祀られています。 「倭の青垣の東の山」とは「倭大国魂神社」が祀ら…

山幸彦と豊玉姫の出会いの場所(瑠璃山 井戸寺)

綿津見の宮… 南井上の地は昔の井上(ゐのべ)郷の中心に位置し海神の住み給う処でありました。 神代神話にあらわれた山幸彦、海幸彦が釣針の争いから、山幸彦は塩椎翁(航海の神)の教えによって海を渡り釣針を求めて「綿津見の宮」に行かれた。 その地は当…

太龍寺窟へご案内

えー、過去記事に太龍寺の窟をチラッと掲載したんですが、今回はその窟の中を詳しく説明した文献を見つけましたので掲載します。 <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/09/001129" data-mce-href="http://awa-otoko.hatenablog.co…

阿波の玄関を監視する高安城(西照神社)

阿波と讃岐の間を走る阿讃山脈の峰のひとつ大滝山。 その大滝山に「西照神社」は鎮座しています。 神社は尾根付近、山頂部が倭の高安城(たかやすのき)と推定されています。 高安城 - Wikipedia はい。Wikipediaではあまり詳しく触れられていませんね。とり…

日本一社 弥都波能売神社の元社はこの祠だ⁈

加茂村 加茂明神の背に神通峯と云あり、十八丁登り龍王の滝といふあり、飛流十間余り滝壺自ら池なして径七八間計、青碧の淵となり溢れ流る傍に龍王の祠あり、早魃の時雨乞に百姓百人簑笠を着し鉦、太鼓を鳴らし此の汀を踊りめぐる、感応あれば神霊奇瑞を現は…

曾我氏大明神は蘇我氏の祖廟(曾我氏神社、石川神社、石井廃寺跡、童学寺)

名西郡石井町城ノ内には「曾我氏(そがうじ)神社」が鎮座しています。 こちらの「曾我氏神社」は祭神が「彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)」と「木花咲耶(このはなさくや)姫命」、「曾我氏大明神」です。 そのうちの一柱 、「曾我氏大明神」は曾我兄…

空海が関係する三つの寺(太龍寺、焼山寺、大滝寺)

あぁ… まためんどくさいテーマを選んでしまいました…さぁ、ぐずぐず言わずいっきに江戸〜明治の文献から三つの寺を紹介していきます。 太龍寺舎心山 太龍寺は那賀郡賀茂。和食。水井。細野。中山。阿瀬比。の山々の頂に有り、此の六ヶ村より登るに近きは二十…

高越山考 奥の院は伊邪那美命の神陵か?(高越神社、高越寺)

知らない人はいきなりのタイトルで驚いたかもしれませんね。 それでは高越山、山頂付近にある寺社について簡単に説明してみましょう。 高越寺 木綿麻(ゆうま)山三番地。山川町の西南、高越山(1122m)の山頂にあり。 寺の開基は役小角による。また弘法大師…

星谷星窟と仏陀石(星谷寺)

勝浦郡星谷村に「星の窟」有り、昔弘法大師悪星を祈り落し給ひし処なり、此の村(□□)寺是を納めて寺宝とす、歳を経て小さく成り纔に梅の核如しと、又或説に星の窟を那賀郡岩脇村の取星寺これを得て寺宝とすといふ、ヶ様の事仏氏の浮説区々にして真偽虚実を…

黒岩大権現は「大山住大明神」(仏王山 大山寺)

板野郡上板町の大山に所在する大山寺。 知るひとぞ知る、大きな秘密が隠された寺です。(答えは題名に書いてしまっていますが… ) 大山寺 (上板町) - Wikipedia まず、阿波の古代史を知るうえでほとんどの方が一回は目を通す(と思われる)「道は阿波より始…

門屋の大泉となべ渕(神山町 大泉、小泉、二之宮神社)

昔、門屋のあたりはひどい干ばつにおそわれ、人々は飲み水にも不自由するほどであった。ある老婆が遠くの渕よりなべに水をいれて持って帰る途中、みすぼらしい格好の坊主が水を飲ませてくれという。その老婆は心優しい人だったので「どうぞ、どうぞ」となべ…