awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

神の坐す場所

阿部氏が大宜都比売命に仕えた理由(わけ)

名西郡神領村氏神由来傳羕之覚當社上一宮巻大明神御神号大粟姫命亦大宜都比売命トモ申奉リ其ムカシ伊勢国丹生ト云フ処ヨリ當村丹生ノ内山へ御出アラセラレケル其則私古ノ先祖木挽職ニテ右山へ罷出候折不斗御月ニトマリ給ケルニヤ大粟姫命曰ケルハ其方給物処…

弓折の椙尾明神

阿波・土佐・淡路の守護職として白鳥村鳥坂に居城した佐々木経高は承久三年(1232)後鳥羽天皇の詔を奉じて兵を起こしたが敗れて自殺した。 鎌倉幕府は佐々木氏に代わり小笠原長清を阿波守に任じ、長清は阿波へ入ると、まず佐々木氏の居城であった名西郡の鳥…

鬼籠野神社は中一宮大粟神社だったのか?

中一宮大粟神社とは現在の神山町鬼籠野に鎮座している「鬼籠野神社」のことを指している。と、されております。 鬼籠野神社の祭神は大日霊尊・金山彦命・埴安姫命・カグツチ命・ククヌチ命・ミズハノメ命・国常立命の六柱。宝治二年(1248)八月八日神領村大粟…

白は城!阿波四家大身 大西氏とは!?

白地城(はくちじょう)は四国の中央部の山間地に立地し、西の境目峠を越えると伊予国・北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国、東の吉野川を下ると徳島平野を中心とする阿波国の中心部、南に吉野川をさかのぼると土佐国と、四国の十字路といえる位置にあった。南北…

祠は朽ちても魂朽ちず…(小笠原神社・重清城址)

重清村字城名にあり、小笠原豊後守長政此に據り剛勇にして屢次戦功あり、天正六年大西城主大西出雲守三好に背き長宗我部に降るに及び、其子白地城主大西角養、其弟七郎兵衛、久米刑馬亮をして誘殺せしむ、時偶正月に會す角養等饗を城中に受く、酒酣にして忽…

古代の祭祀場、天桁山(あめのけたやま)

東宮山と峯続きにある山、「天行山(あまぎょうさん)」。阿波古代史の入門書ともいえる書籍「道は阿波より始まる(その三)」には、以下のように記されています。 蜂須賀治世時代の諸文献では「天行山」ではなく「天桁山」「桁村」が地名として使われている…

井内谷から祖谷へ(もう一つの平家落人と安徳天皇伝説)

寿永四年二月二十一日讃岐八(屋)島の合戦にやぶれた門脇中納言の次男 平国盛公は安徳天皇を守護した奉いながら三好郡の井内谷から祖谷山へ入山した。 国盛公、讃岐八(屋)島より落ち、志度にやどる、義経志度を犯す、国盛兵を引具して讃岐白鳥に引き移る…

隠された羽津明神と飯裹大明神の秘密

三好町昼間の天椅立神社は歴史が古く昼間全体の氏神であります。阿波志によれば、もともとは羽津明神という名で呼ばれた延喜式内社と記録されております。 貞治三年(1368)、雲辺寺の鰐口の銘には「阿波国田井荘、羽津宮… 」とあり、南北朝時代には羽津宮と…

六根清浄(剣山例大祭)

天照皇太神の宣く人は則天下の神物なり。須掌静謐心は則神明との本主たり。莫令心神是故に諸の不浄を見て心に諸の不浄を不見耳に諸の不浄を聞て心に諸の不浄不聞鼻に不浄を嗅て心に諸の不浄を不嗅口にて諸の不浄を言て心に諸の不浄を不言身に諸の不浄を触て…

野見宿禰から繋がる天神村の天満天神

さて、少し前に落神の天神について触れました。 結論では邇邇芸命を祭祀しているのではないか?という事で締めた訳なんですが…しかし、またタイムリーなことに天神村の天神社について別の見解を発見するに至ってしまいました。個人的には今回投稿する内容の…

不思議な亀(瓶)のつながり

神山町下分の宇佐八幡の対岸には大石がある。現在は宇佐八幡に合祀されているが、かつて下分に大岩神社と呼ばれた社があった。この神社はもともと上分の奥屋敷で祭祀されていたが大水のために流出し、そのとき瓶に入れていた神器が漂着したのがこの石である…

落神ノ天神は少彦名命なのか?

名西郡石井町高川原に鎮座する「天満神社」でございます。 この神社は広大な敷地を所有した外観的にも立派な神社なのですが、ショッピングモールの背後に隠れてしまいった存在感が薄い神社なのであります。本来は「天神社」でした。その他にもいろいろと秘密…

この氣、何の氣?屋嶋城(やしまのき): まつろわぬ神、蓑山大明神・屋島稲荷の章

前回は序章だったので屋嶋城(やしまのき)自体の説明にとどまりました。 阿波の大滝山に高安城(たかやすのき)があったが故に屋嶋城が造られたと想定した訳です。が、屋嶋城の頂上には古代より"崇敬される遺物"が存在した形跡がちらほら。 今回の投稿は、…

この氣、何の氣? 屋嶋城(やしまのき): 序章

ここ最近讃岐の情報が多くなり、そろそろ「sanuki-otoko'sblog」にブログ名を変えたら?と言われそうな「awa-otoko」です。 今回も気にせず讃岐国「屋嶋城」にスポットを当てて進めたいと思います。 屋嶋城(やしまのき)とは? 「日本書紀」天智天皇六(667…

倭迹迹日百襲姫命は第二の大宜都比売命であり卑弥呼であったのか?

阿波古代史ブログの重鎮 ぐーたらさんがやっと重い腰を上げて大宜都比売命について書きだしました。ぐーたら気延日記(重箱の隅):http://goutara.blogspot.jp/?m=1大宜都比売命の解明はぐーたらさんに任せて、こちらはいろいろ手を広げていきます。 大宜都…

笑子岩(えびすいわ)を間近で…

神山町 神領の高根山には「笑子(えびす)岩」と呼ばれる神の石がある。その形はあたかも笑っている顔に見えるので、今では笑子石ではなく人面岩の名前で知られている。 神領村誌によると、上古、阿波(粟)国を支配した神がその子孫である国造(くにのみや…

木屋平から献上されるエレメント

大嘗祭(=新嘗祭)の儀式の形が定まったのは、7世紀の皇極天皇の頃だが、この頃はまだ通例の大嘗祭(=新嘗祭)と践祚大嘗祭の区別はなかった。通例の大嘗祭とは別に、格別の規模のものが執行されたのは天武天皇の時が初めである。ただし当時はまだ即位と結…

白鳥神社の参道を指す鳥坂から出てきたもの

国府町尼寺、古来の尼木(海城:あまぎ)の隣にある山麓の地名、鳥坂(とっさか)とは白鳥神社続く「(白)鳥(へ向かう)坂」を指しているものではないのか? (白鳥大明神こと白鳥神社) また、海城にある御瀧神社は本来の白鳥神社の入口であったはずで、詳…

驚愕の事実だったよ 剣山大権現縁起(実地調査Ver)

はい。以前にUPした剣山大権現縁起に肉付けするべく利剣山 藤之池龍光寺に参拝して参りました。 いやぁ〜、半端ない雰囲気の中で龍光寺の境内をくまなく確認させて頂きました。 ただ、、、龍光寺に参拝する前には剣山登山。 GWで見ノ越の無料駐車場は第一、…

吉良忌部大神宮の元地へ

吉良忌部大神宮の元地である清頭岡磐座遺跡に行ってきました。とりあえず吉良忌部神社に関連する過去記事も確認しこれまで背景を把握しておいて頂ければと思います。 吉良 忌部大神宮(御所神社)は式内・忌部神社の論社とされ名乗りをあげました。その他の…

血潮に染まる民部岩と愛宕山

今回は番外編?です。 ちょっと気になるところで海部郡の愛宕山を調査してきたのですが、まだまだ考証に至らないためにお蔵入りにしました。(最後に触りだけ書いてます。笑) これと言っては何ですが、ちょっとだけ愛宕山に関係する「民部岩」の伝承をご紹…

大宜都比売命、神々のルーツ

夜も更けてきたので今回は短めに… 天日鷲命と同郡に鎮り坐す天村雲神。 板野郡に鎮り坐す大麻比古神と葦稲葉神。 これらの神々は皆、阿波の国魂 大宜都比売命に従い、共に伊勢の国より移らせ給いし神也。 いづれの神も伊勢国に由緒有り給うことを知るべし。…

麻植郡からみる大宜都比売命・葦稲葉神の手掛かり

美郷村種野の稲荷は美郷村と木屋平村を合わせた種野山荘の総氏神でありました。この神は遥かな昔に樫の葉に乗って天降ってこられたそうで、そのため川向こうを「樫の葉」と呼び、神様が降りた石を「影向石」と呼んでいたそうです。 「樫の葉」の地名は明治…

三日月・粟飯原家住宅に訪問

鮎喰川上流の左岸の山裾にたつ粟飯原家住宅は、当主が15代目という旧家である三日月・粟飯原家を本家とする分家である。本家は千葉上総介下総国千葉郡より観応2年(1351、北朝年号)阿波国に派遣され、栗生野に邸宅を構え粟飯原石見守千葉常胤と号し、上山谷…

阿豆枳島いろいろ探訪

今回は阿波を離れて小豆島のお話。小豆島に遊びに行ったのは○十年ぶりで、遠い子供の頃に家族で遊びに来た記憶を辿りながら一日観光を楽しんで参りました。もちろん古代史や神社学など抜きで… しかし帰宅してから赴いた場所を調べてみれば、寒霞渓に行って星…

ぶらぶら散策。忌部大神宮跡

本業が繁忙期真っ只中で古文書を読み解く集中力も湧かないので、かつて忌部大神宮が鎮座していたと伝わる高越大権現(高越寺)をぶらぶらしてきました。 吉野川市山川町から高越山に入ります。 先月までは積雪や路面凍結で車での進入が危険な状態でしたが今…

大宜都比売命 八伴神の宮を探しだせ!!

神代に御馬に乗り給いて、八前の伴神を引率して本国に移らせ玉ひ、大麻比古、天日鷲命と共に一国経営の始めに粟を蒔き玉ひし神勲を以て御名を大阿波女神、八倉比賣命、田口大明神と申し、亦大宜都比売命と尊称奉る。大麻比古大明神、種穂大権現 粟耕作なさ…

三千世界が波打ったころ

今回は誰も知らない、本当にあったことさえもわからない忌部の民が活躍する前のお話。たまには記紀から少し距離を置いて考えてみてもいいかななど思いまして… 麻植郡の山塊や、傍らに流れる河川は太古の昔より大きな変化を伴いながら現在に至り、神代の昔、…

驚愕の事実 剱山大権現縁起(阿波弁Ver)

ちょっと気にて調べてみれば驚きの連続だった剱山大権現縁起。こちらは明治十二年、神山村の三日月家(粟凡直一族)たる粟飯原氏によって記録されたものです。 何故に高越大権現の昔話を一宮大明神氏子が書いたのかはわかりませんが、書いている内容から推…

弥吉明神の御神像

御神像の御姿は烏天狗を型取り赤銅によって造っていると伝えられている。顔は烏天狗で身体は座して合掌しており、身の丈は一寸内外。現在の明神町 大麻比古神社(おおまひこじんじゃ)の御本尊である。 この御神像は中世より一宮城主であった一宮一族に三百…