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awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

御諸(ごしょ)の大墓宮と吹越大明神の謎

現存する處の一條五條七條の村名は、御所を設くるにつき京都の御所に倣ひて一條より七條まで定めし者の残れる傳なり。一條五條七條は大墓宮と傳ふ。 Facebookにて独り言として掲載した文ですが、実は続きがありました。「御所屋敷の南方にあり大墓宮は土御門…

秋月氏は粟国造粟凡直の一族

秋月村光勝院址の西方にあり。細川頼春の築く處にして季子詮春これに居る、後勝端に移るに及び秋月中務太夫居住せり。 秋月城(あきづきじょう)は、室町時代の阿波国阿波郡秋月庄(現在の徳島県阿波市土成町秋月)にあった日本の城。阿波市指定史跡とされて…

吉野五条祠は土成高尾 熊野の元社

永禄元年(一五五八)に大旱魃が起り、七条城城主 七条兼忠が宮川内谷で雨乞いをした。ところがこの地域の宮川内谷川流域は年々水害が甚だしいために兼忠は五条城主 高志下野守、西条城主 西条監物と相談し、五条神社を土成村高尾の熊野神社へ遷座した。その…

デジャブで勧請かよ⁉︎ 鳩の原八幡宮‼︎

承平四年(九三四)、阿波国の国司になった藤原国風が巡視する際に八幡大神の御前で白鳩が群れ遊んでいる夢をみたという。当地までやってくると夢と同じ光景が眼前に繰り広げられてひじょうに驚き、都より岩清水八幡大神の御分霊を奉迎し、二百歩四面を画し…

吉野に存在した悪女と戎の城

西条戎台上に高櫓あり。その周囲に館構にて東西二百歩、南北百五十歩、その内外に濠を巡らし大樹あり、櫓の高さは弐丈五尺(約七、五㍍)ありき。 阿波市吉野町、阿波九城に含まれた西条東城 別名 戎城(えびすじょう)であります。築城年は貞和二年(1364年)…

安閑天皇を祀る飛蔵宮

土成町宮川内の奥に飛蔵山(ひそやま)という山がある。飛蔵山は御祭神として第二十七代 安閑天皇を奉斎する吉野神社が古くから鎮座していたと伝わる。吉野神社は神仏習合の時代に飛蔵宮(ひそみや)または蔵王権現と改称され、山伏をはじめとする修験道の一…

バンザイ板西城 栖養の里には何がある?!

榮村古城にあり、藤原師光の六男、近藤六親家の築く處たり、源義經勝浦尼子浦に上陸するや親家東道となりて功あり、親家子なし乃ち赤澤兵庫守を養うて嗣と爲し、城を讓りて自らは勝浦郡新居見の山上に隠棲す、世に之を板西殿と稱す。宗定また子無く城廢す、…

三社だった大麻比古神社

阿波名勝案内大麻比古神社の項には本来三社によって祭祀していたと記載されています。記述によればその他にも境内社や摂社も現状とは差異が見受けられることがわかり、これはある時期に何らかの手が加えられたことが推測できます。往古の記録と現状との差異…

阿波井神社で隠れている神

阿波井神社(あわいじんじゃ)は徳島県鳴門市瀬戸町堂浦に鎮座しています。 堂浦地区と小鳴門海峡を挟んだ対岸の島田島南部にあり、クスノキをはじめとする各種の古木に全山が覆われた中に社殿が建立されています。 神殿は元々、この山の背面にあたる内海に…

阿波三國説から出てきた様々な推測

以前に粟、長、麻植の起りを投稿をまとめた内容です。 もちろんソースの古文書は転載しましたが、とてもめんどくさいので訳してません。それでも良ければ読んでみて下さいね。(≧∇≦) 上古當国は大きく三國に分かれ有りしなるたし。即ち粟と云う縣、麻植と云…

六人の天日鷲命

久しぶりの投稿です。やっぱり文字入力するのが面倒で面倒で。。。(笑笑笑 ) さて前回の続き?(でもないけれど)忌部神について書いていきます。阿波国の他にも伊勢国、安房国・関東一円に分布し御鎮座された神 天日鷲命。なかなか実体が掴めない神だと思…

犬伏左近と犬伏城。主人赤沢信濃守も全部調べてしまえ!!

犬伏塚穴松坂村犬伏諏訪神社の裏に當り雑樹欝然たる丘陵あり、其西邊に塚穴あり、南に向ひ北に延ぶ、入口廣く中程は稍狭くなりて、室の隔てらしく奥の室又廣し、其室の極まる處一坪有餘の青石を建てて土の崩落を防げり、内部両側は總て天然石の方形なるもの…

田口氏の祖先は武内宿禰!?

或記に云、武内宿禰之後胤阿波真人広記(天智天皇御宇の人)十二代之後孫阿波助国風(朱雀天皇御宇之人)其の子桜間文治行直其後十代桜間外記太夫良連子無為以甥良遠子桜間助是也而良遠之兄成良阿波民部号勝浦郡之城主也 成良之子伝内左衛門成直(一名教良)…

不思議な亀(瓶)のつながり

神山町下分の宇佐八幡の対岸には大石がある。現在は宇佐八幡に合祀されているが、かつて下分に大岩神社と呼ばれた社があった。この神社はもともと上分の奥屋敷で祭祀されていたが大水のために流出し、そのとき瓶に入れていた神器が漂着したのがこの石である…

石之日売命は嫉妬に狂ったのか?

(大坂峠から奈仁輪を望む) 「奈仁輪(なにわ)」とは、志度岬、小豆島、淡路島、鳴門に囲まれた海辺の総称。 おしてるや 難波(なにわ)の崎よ 出で立ちて 我国見れば 淡島(あわしま) 自凝島(おのごろしま) 檳榔(あぢまさ)の島も見ゆ 放(さけ)つ島…

天智天皇はフェイク!? 葛木男神の影…

(阿州北灘葛城大明神縁起) 謹みて按ずるに天智天皇は葛城皇子と申し、又、中大兄皇子とも申し奉りしなれば葛城大明神と號し奉ること其故あるべし 昔々、天智天皇が讃岐國八島(屋島)へ御幸の御時、粟田村に御船がかかり、とある池の鮒を釣りしようとされ…

弥吉明神の御神像

御神像の御姿は烏天狗を型取り赤銅によって造っていると伝えられている。顔は烏天狗で身体は座して合掌しており、身の丈は一寸内外。現在の明神町 大麻比古神社(おおまひこじんじゃ)の御本尊である。 この御神像は中世より一宮城主であった一宮一族に三百…

大地震並夏雪事

そろそろ南海地震に備えておいた方がいいかもしれません。「太平記」巻第三十六には地震と夏雪の記録が残されております。軍記物語ゆえに文学的、誇張的表現、あるいは不正確な記述も見られるが、阿波雪湊(由岐)の津波の存在は事実とされる… とのこと。恐…

板野郡 地名の由来とコノハナサクヤヒメの繋がり

板野郡と云うは葦田野(イタノ)郡なり。根元である神宅村に吾田鹿葦津姫(イ(ア)タカシツヒメ)の神が坐す郡を以ってして郡の号となりしなり。 はい。板野郡は吾田鹿葦津姫(アタカシツヒメ)が居た土地だから葦田野(イタノ)から板野(イタノ)郡になっ…

大麻比古神は何者?

大阿波女神は当国開闢の大神あらせしなりにて経営の初は粟を蒔き給いし神勲も有り給う由は此の姫紛れなきなり 天日鷲神も大阿波女神も御兄弟なる由動かざる考えなり 按ずるに阿波女神、天日鷲神、大麻比古神 この三神は同系の神等なり 引き続き大宜都比売命…

阿波が粟であるために

名西郡なる大粟山 國号起こりし由の古傳にありて 今猶大粟一谷の諸人とく知るところなり 粟を蒔き専ら御食功徳坐て御名を大宜都比売神亦の御名を大阿波女神と美称奉り 其粟を蒔き給ひし地を大粟山 亦名 粟生山と云ひ 国号を粟国と云伝ふ也 阿波国内には阿波…

ヲカノカミはウカノカミ(板野町 岡上神社)

岡ノ宮といふ地名も岡上神社あるよりて屓ひし名か 又岡と云ふ地名ありて其処にある社なれば やがて岡上ノ神と申ししか其先後はしるべからざれど いづれ岡ノ上といふ地名も近き世に云ひ出せしこととも聞こえねば必今の社なるべし 又祭神を豊宇氣毘賣神なりウ…

稲荷神にして合体神 - 葦稲羽の神(神山町 若宮神社・稲荷大明神)

神山町 神領を通る国道438号線沿いにひときわ鮮やかな朱の鳥居がございます。 幼少の砌、車に乗せられて神山町を走る最中に「何故こんな場所にお稲荷さんがあるんだろうか?」とふと考えたことがあります。それから数十年、長い歳月を経て、この地になぜ「…

摂社からみた大麻比古神社 真の祭神(鳴門市大麻町 大麻比古神社)

阿波一宮 大麻比古神社御由緒 御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神 神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め阿波国に至りまして、麻楮の種を播殖し麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め 給ひその守護神として太祖天…

大宜都比売命、伊勢までの足取り

いやぁ〜、参りました。。。 私的なことですが今迄阿波の神社巡りをした時の記録、写真データが消滅してしまいました。。。(苦笑)みなさんバックアップは確実にしておきましょうね。 という訳で急遽考えていたテーマを変更して、手前味噌ですが今回のテー…

葦稲葉神社は本来どこに鎮座していたのか(上板町神宅)

(地図★印が葦稲葉神社元地(推定)) かつては宮谷川と大山谷川に形成された扇状地の頂点、大山畑 芽野原に葦稲葉神社は鎮座していました。しかし山崩れで社殿は倒壊。 扇状地下端の宮ヶ谷川河畔に鎮座していた鹿江姫神社に遷座されてしまいました。 さらに…

武内宿祢の屋敷と造船所(上板町 舟ノ本、矢武八幡神社)

大山村 西分字池田に古来船の本と稱し、船の如き形を為せる土地(三畝十二歩)あり、雑草繁茂するも若し鍬を入れる時は神罰が蒙るべしとて其ままに在置しあり。口碑傅ふる處によれば山城男山八幡宮の山下に武内大臣の社あり、船の形に擬して作れり、船の本ま…

愛染院?藍染院か。(板野町 愛染院)

愛染院(あいぜんいん)は徳島県板野郡板野町に所在する高野山真言宗の寺院。山號は金鶏山。本尊は不動明王。別名那東のお不動さん。四國八十八箇所霊場第三番札所金泉寺奧の院。 御詠歌:まつが枝に 御ひかり照らす 金鶏の 佛を頼め たすけまします 伝承に…

ダレノ墓 あま塚(里浦町 あま塚)

里浦村城ヶ峯の麓老松の下にあり、元禄年間の改築にかかる花崗石の五重の塔は、名のみの一小宇僅かに之を蔽ひ、塔側には小庵ありて香華をひさぐ、あま塚は海士塚にて男狭磯の墓と云ひ、或は尼塚にて清少納言の墓と稱し、後者につきては殊に牽强府會の説を傅…

漁業の神 ゑびす大明神(飯谷 杉尾神社)

我が国の漁業は九州地方から発達したと考えられていますが、博多の中州、長崎と五島に漁業関係者が集まったのは日清戦争以後。これは阿波国の南方漁民が移住して漁業を開拓したことが始まりなのです。日露戦争の時にも九州の人では漁業ができずに阿波漁民が…

王の中の王(宇志比古神社)

阿波で現存する神社本殿では最古にあたる宇志比古神社。2000年に国の重要文化財に認定されております。社殿は少し奥まった板野郡大谷の山際に鎮座しています。創祀年代は不詳。式内社・宇志比古神社の論社の一つで、天正年間(十六世紀末)長曽我部元親の乱…

意祁と袁祁とで意袁祁島(鳴門市大毛島)

今回のテーマにある、意祁(おけ)王と袁祁(おけ)王の兄弟を知らない方もいると思われるので簡単な説明を掲載しておきます。 意祁王(のちの仁賢天皇)と袁祁王(のちの顕宗天皇)の兄弟は安康天皇3年に父の市辺押磐皇子が雄略天皇に殺されると共に逃亡し…

神功皇后の名残り(宇弥宮、住吉大明神、住吉神社)

神功皇后に絡むテーマはこれで二回目の投稿。多分に被るところがありますが平にご容赦を。(^_^;) <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/25/235954" data-mce-href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/25/235954">海人族の神々(住吉神社) - awa-otoko’s blog</a> 海人族の神々(住吉神社) - awa-otoko’s blog それではサクサクと話を進めていきましょう。(^O^) 神功皇后は神…

目弱王の変(天円山)

ちょっと今回は説明しにくいかも… という逃げを冒頭から申し上げておきます。(^_^;) 目弱王(まよわのおおきみ、允恭天皇39年(450年) - 安康天皇3年(456年)8月)は、記紀に伝えられる5世紀頃の皇族(王族)。父は大日下皇子(おおくさかのみこ。仁徳天皇…

武内宿禰は尊称(高良神社、武威神社)

阿波井大明神の鎮座する内海(うちのうみ)が神代より近世に至るまでも有名な阿波水軍の一大根拠地。 その根拠地で生まれついて以来、水軍大将の位置にあった武内宿禰。 【武内宿禰】(景行天皇14年 - 没年不詳)は、記紀に伝わる古代日本の人物。『日本書紀…

笥飯宮(板野町 気比神社)

板野郡板野町中久保に鎮座します気比神社。 祭神は仲哀天皇(日本武尊の第二皇子)「足仲彦天皇(たらしなかつひこすめらみこと)」 「日本書紀」仲哀天皇二年二月条に、「角鹿(つぬが)に幸す。即ち行宮(かりみや)を興てて居(ま)します。是を笥飯宮(…

大富彦って…(大富彦神社)

藍住町東中富字傍示に鎮座する「大富彦神社」です。創建は不詳。祭神は犬伏左近霊とされております。 犬伏左近とは中世 阿波三好家の被官。 300貫の知行を取っていたが長宗我部元親の進攻(中富川の戦い)で討ち死しております。 後世に犬伏左近の子孫が当社…

豊国法師 阿波での活動(亀山神社と阿王塚山)

(阿王塚山 不動尊堂内)桜間(佐久良末(さくらま))池の周辺に宮を定めた用明天皇の遺体を伊太乃 亀山に移し替えた聖徳太子。移し替えた場所は板野郡板野町大寺の阿王塚山。この弔寺として建立されたのが大寺。往古は全域がこの寺の寺内、当時の日本国最…

日本一の五百羅漢(地蔵寺 奥之院 羅漢堂)

板野郡矢武村にあり。別当寺は庄厳院 地蔵寺。当寺は弘法大師の遺跡にして一本寺なり。此山に往古より羅漢原とてありける。去る宝暦の頃より願主ありて檀信を十方にもとめ、日あらずして広大の精舎を創建せり。此辺に筆塚とて古跡あり。 (阿波名所図会より…

草の神から稲の神へ(鹿江比賣神社)

「古事記」では鹿屋野比賣神、「日本書紀」では草祖草野姫(くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)と表記し、『古事記』では別名が野槌神(のづちのかみ)であると記している。神産みにおいて伊弉諾尊(いざなぎ)、伊奘冉尊(いざなみ)の間に生ま…

蛇と鴨(登美の那賀須泥毘古)

【長髄彦: 登美の那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)】(もののけ姫のアシタカはナガスネヒコがモデル)登美夜毘売(トミヤヒメ)、あるいは三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)ともいう自らの妹を、天の磐舟で、斑鳩の峰白庭山に降臨した饒速日命(ニギハヤヒノミ…

阿波に存在した「淡海の大津宮」

さて、突然ですが天智天皇が造営した淡海の大津宮とはどこにありますか?と質問するとしましょう。 「滋賀県大津市… 。」と答える方がほとんどでしょう。通説ですからね。その淡海の大津宮が阿波に存在するとしたら… 今回のテーマは「阿波に存在した天智天皇…

白檮原宮は土成町 樫原神社

神倭伊波礼比古命(かむやまといわれひこ) 後の神武天皇は白檮原宮(かしはらのみや)で即位しますが、阿波では土成町樫原で即位されたのではないかとされています。 神武天皇 - Wikipedia 阿波の樫原神社は創建年代は不詳の古社。天保十二年(一八四一)の…

薬王子大権現は古の医療の神(薬王子神社)

「吾をば倭の国の青垣の東の山に拝き奉れ」と答へいいたまひき、こは御諸山の上に坐す神なり。 式内「倭大国魂神社」が奉られる美万城(みまき)の東、御所村の御所山に「薬王子大権現」は祀られています。 「倭の青垣の東の山」とは「倭大国魂神社」が祀ら…

瓶(かめ)大明神(瓶浦神社)

往昔鳴門の海より大亀の脊に載せ来りと云赤色の水瓶さかさまに打覆ひたる中に龍神垂跡し給ふなり、此の瓶に汚穢不浄の輩来り触れ或は不敬をいたせば忽風雨することよく人の知るところなり、伝へ云、むかし旱魃の時近村の農民とも雨乞にとて来て此のお瓶を擲…

アキノカミはウカノカミ(大元大明神)

板野郡 明神(アキノカミ)村に大明神と申す神社あり、今は大元大明神と申せり、祭神は国常立尊なり天正年中に兵火にかかり、社殿の焼亡、その後再興したと古老云、当社は往古阿波国に鎮座ましまし境内に大樹多く有りける、或時彼国君の命に依て国中の山林及…

海人 柿本人麻呂(里の蜑)

後鳥羽院文治三末年三月十八日 人麿影供の御会を行はせ給ふ、藤原信実時の妙手にて勅を奉(うけたま)はりて画きしとなむ、其の時此の里の海人に命せられ御料用の品物を捧げしとぞ、其の遺風にや今も此の浦人 海草、蛤の類を取りて他所に持出て売ありくなり…

海人族の神々(住吉神社)

文治元年(1185)、源平合戦の折、屋島に集結した平家討伐に向かう源義経の軍は阿波勝浦に上陸、藍住町の南岸にやってきた。吉野川の水が溢れ渡れないでいると、里人がやってきて対岸の海の神「住吉大明神」に祈念するように勧めた。その忠告に従い祈念する…

空位の神社(阿波神社)

鳴門市大麻町池谷に鎮座しております「阿波神社」です。まずは阿波神社の略記などご覧くださいませ。【阿波神社 略記】 阿波神社は、第83代 土御門天皇を御祭神として奉祀致しております。土御門天皇は、第82代 後鳥羽天皇の第1皇子(御諱為仁親玉)として、…

湯蓋の森(春日部ノ屯倉)

日本書紀 安寧天皇の御巻に云、二年五月丙午朔甲寅置阿波国春日部屯倉云云、この屯倉何所ともしるべからずといへど、板野郡に春日といふ地ありて、そこに春日明神を祀れり、又社のあたりに楠の木のめくり十二三間許なる大木ありこれ若屯倉ありし所なりしを春…