awa-otoko’s blog

阿波の神秘的、不思議、面白い場所を記紀や地域伝承と絡めて紹介します

古墳、板碑

吉良忌部大神宮の元地へ

吉良忌部大神宮の元地である清頭岡磐座遺跡に行ってきました。とりあえず吉良忌部神社に関連する過去記事も確認しこれまで背景を把握しておいて頂ければと思います。 吉良 忌部大神宮(御所神社)は式内・忌部神社の論社とされ名乗りをあげました。その他の…

三日月・粟飯原家住宅に訪問

鮎喰川上流の左岸の山裾にたつ粟飯原家住宅は、当主が15代目という旧家である三日月・粟飯原家を本家とする分家である。本家は千葉上総介下総国千葉郡より観応2年(1351、北朝年号)阿波国に派遣され、栗生野に邸宅を構え粟飯原石見守千葉常胤と号し、上山谷…

阿波が粟であるために

名西郡なる大粟山 國号起こりし由の古傳にありて 今猶大粟一谷の諸人とく知るところなり 粟を蒔き専ら御食功徳坐て御名を大宜都比売神亦の御名を大阿波女神と美称奉り 其粟を蒔き給ひし地を大粟山 亦名 粟生山と云ひ 国号を粟国と云伝ふ也 阿波国内には阿波…

ヲカノカミはウカノカミ(板野町 岡上神社)

岡ノ宮といふ地名も岡上神社あるよりて屓ひし名か 又岡と云ふ地名ありて其処にある社なれば やがて岡上ノ神と申ししか其先後はしるべからざれど いづれ岡ノ上といふ地名も近き世に云ひ出せしこととも聞こえねば必今の社なるべし 又祭神を豊宇氣毘賣神なりウ…

忌部の神塚(吉野川市鴨島町麻植塚 麻植の神塚)

麻植塚には面積約五坪、高さ三尺位の古墳のようなものがあって「麻植の神塚」と呼ばれている。塚の上には今倉某の石碑が数基あって、付近の地名を塚西、塚東と呼び、忌部の氏人 今鞍進士(いまくらのしんし)の祖を祀った所と伝えられ、付近に今倉姓があり、…

奥野々大権現は高越大権現と表裏一体(山川町 奥野々山 奥野々神社)

(船窪ツツジ公園から剣山を望む) (手前が高越寺) 奧野々山(おくののやま)は、徳島県吉野川市にある剣山系の山である。標高1,159m。麻植郡山川町に聳える山であり、高越山の南側約3Kmのところに位置する。高越山と奥野々山の間には船窪ツツジ公園があり…

大宜都比売命の御馬石(神山町 神領)

古より神石として尊信せるのみならず、その古伝と能く符号せるを見れば、即ち大宜都比売命の来臨の霊地にして、阿波の国 開開闢の原地と考えられるべし。 神山町神領 上一宮大粟神社から南にある丹生というところに神代から伝わっている「御馬石」というもの…

葦稲葉神社は本来どこに鎮座していたのか(上板町神宅)

(地図★印が葦稲葉神社元地(推定)) かつては宮谷川と大山谷川に形成された扇状地の頂点、大山畑 芽野原に葦稲葉神社は鎮座していました。しかし山崩れで社殿は倒壊。 扇状地下端の宮ヶ谷川河畔に鎮座していた鹿江姫神社に遷座されてしまいました。 さらに…

小屋の内裏と草なぎの剣(木屋平村 正八幡神社、新八幡神社)

木屋平村 森遠名に鎮座す正八幡(森遠八幡)神社は應神天皇、仁徳天皇を祀る。祠中偃月刀及び古冑を蔵し、阿部宗任の所持せし由来を傳ふ、又金昌描く處の歌仙圖及び大般若経を蔵すと。正八幡神社はもともと森遠城址であり、平宗本此に據り、松家越前守と称し…

武内宿祢の屋敷と造船所(上板町 舟ノ本、矢武八幡神社)

大山村 西分字池田に古来船の本と稱し、船の如き形を為せる土地(三畝十二歩)あり、雑草繁茂するも若し鍬を入れる時は神罰が蒙るべしとて其ままに在置しあり。口碑傅ふる處によれば山城男山八幡宮の山下に武内大臣の社あり、船の形に擬して作れり、船の本ま…

磨墨の天馬石(小松島 田野)

勝浦郡田野には天から降った天馬石という奇石があります。宇治川の先陣に、生唼(名馬 池月)のために第一着をしてやられた磨墨の石に化(な)ったものだと言われています。 磨墨とは梶原景季の愛馬であり名馬として知られていました。磨墨に乗った景季は118…

愛染院?藍染院か。(板野町 愛染院)

愛染院(あいぜんいん)は徳島県板野郡板野町に所在する高野山真言宗の寺院。山號は金鶏山。本尊は不動明王。別名那東のお不動さん。四國八十八箇所霊場第三番札所金泉寺奧の院。 御詠歌:まつが枝に 御ひかり照らす 金鶏の 佛を頼め たすけまします 伝承に…

高良(甲羅)峯に行ってきた☆(以の山編 上鮎喰 高良峯)

武内宿禰、阿波では高良明神(こうらみょうじん)と呼ばれます。この人の葬陵が以乃山(眉山)の西にある高良峯(こうらみね)にあったがゆえの呼び名であります。武内宿禰の古陵(と伝わる場所)は眉山カントリー内の八人塚古墳の峯続きにある四世紀に造営…

スサノオを祀る八坂の元社(以の山編 加茂名 溶造皇神社)

以前にも紹介したことのある「溶造皇(ようぞうのすめら)神社」。それは元々「いのやま」に祀られておりました。 <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/12/18/005813" data-mce-href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/1…

大岩さん見ぃつけたぁ。(川島町峯八 雀嶽)

ちょっと前に二回も探索して見つけられなかった雀嶽(大岩さん)の場所を絞り込めたので、三回目の正直を信じて行って参りました。 <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/06/07/022102" data-mce-href="http://awa-o…

ダレノ墓 あま塚(里浦町 あま塚)

里浦村城ヶ峯の麓老松の下にあり、元禄年間の改築にかかる花崗石の五重の塔は、名のみの一小宇僅かに之を蔽ひ、塔側には小庵ありて香華をひさぐ、あま塚は海士塚にて男狭磯の墓と云ひ、或は尼塚にて清少納言の墓と稱し、後者につきては殊に牽强府會の説を傅…

大岩さんは浮島八幡宮の元地(川島町峰八 雀嶽 )

(雀嶽と推定していた大岩:詳しくは後述) 川島町桑村と学の境の山中に、世界でも珍しい「紅廉片岩」という美しく赤い大岩がある。この岩は今は「雀嶽(すずめだけ)」と呼ばれているが、大昔は「鈴連嶽(すずろだけ)」と呼び、川島郷と忌部郷の境界の目印…

目佐穴権現(和耶神社)

島根郷伊豆美。長川(那賀川)の河口より石門から牛岐、そして橘湾に面する現在の富岡と呼ばれる場所。 この島根郷伊豆美は神代より海人族の繁栄した場所で、この地の王が波邇夜須比賣(はにやすひめ)と孝元天皇の御子である「建波邇安王(たけはにやすおう…

素戔嗚命の歯(初臼山不動院)

爾に須賀の地に到り坐して詔りたまはく、「吾此地に来て、我が御心すがすがし」とのりたまひて、その地に宮を作りて坐しき。故、その地をば今に須賀と云ふ。玆の大神初めて須賀の宮を作りたまひし時、その地より雲高く騰りき。 神山町の須賀山から峰続きの西…

南淵の坂田寺(丈六寺)

現在の徳島市丈六町、旧地名 多家良村南淵が用明紀に記された丈六の仏像がある場所。 さらに昔は片塩(かたしほ)郷の坂田邑と呼ばれており、もともとはシキツ比古タマテミ命(安寧天皇)が宮を定めし宮跡で、ここから渋野天王森に続きます。 また、丈六町か…

王の中の王(宇志比古神社)

阿波で現存する神社本殿では最古にあたる宇志比古神社。2000年に国の重要文化財に認定されております。社殿は少し奥まった板野郡大谷の山際に鎮座しています。創祀年代は不詳。式内社・宇志比古神社の論社の一つで、天正年間(十六世紀末)長曽我部元親の乱…

山脊の水主(讃岐 水主神社)

倭迹迹日百襲姫命、都の黒田宮にて幼き頃より神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれ、7歳のとき都において塵に交なく人もなき黒田宮を出られ、お船に乗りまして西へ西へと波のまにまに播磨灘、今の東かがわ市引田安堵の浦に着き、水清きとこ…

元祖 忠犬の墓

捕鳥部 万(ととりべ の よろず、生年不詳 - 用明天皇2年(587年)7月)は、飛鳥時代の武人。姓はなし。捕鳥部(鳥取部)は鳥を捕捉することを職業とした品部。物部氏の本拠である河内国には、鳥取部の伴造氏族で、角凝魂命の三世の孫である天湯川田奈命の後…

丹摺石(丹生谷)

丹摺(にずり)とは、古事記に記された物語の時代に行われた阿波のみの習慣です。 (太龍寺窟跡付近の腰宮神社) 那賀郡と勝浦郡との境の加茂谷は空海が「面足(おもだる)命下り居ませし、磯輪上乃秀真国(しわがみのほつまのくに)之阿波国也」と縁起を納…

神功皇后の名残り(宇弥宮、住吉大明神、住吉神社)

神功皇后に絡むテーマはこれで二回目の投稿。多分に被るところがありますが平にご容赦を。(^_^;) <a href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/25/235954" data-mce-href="http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/25/235954">海人族の神々(住吉神社) - awa-otoko’s blog</a> 海人族の神々(住吉神社) - awa-otoko’s blog それではサクサクと話を進めていきましょう。(^O^) 神功皇后は神…

大田田根子一族の殯宮(段の塚穴)

段の塚穴は、徳島県美馬市美馬町字坊僧の河岸段丘先端にある古墳時代後期に築かれた2基の古墳の総称。東側が太鼓塚古墳、西側が棚塚と呼ばれています。 石室の規模や特異な構造から、四国の古墳時代史上で欠かせない重要な古墳と認識されています。 太鼓塚…

和奈佐は倭奈佐(大里八幡神社、和奈佐意富曾神社)

(海陽町 大里八幡神社) はい。今日は阿波の海人族の古の拠点であった「海部」、現在の海陽町に行ってきました。 大里海岸の目の前に鎮座する「大里八幡神社」は、古の「和奈佐意富曾(わなさおほそ)神社」が変化したもの。 (那佐湾:海陽町大里海岸) 「…

豊玉比賣命の祟り(清玄坊神社)

(徳島公園内 城山山頂 清玄坊神社) 蜂須賀が阿波に入国した当時の以乃津(現在の徳島公園一帯)は平地ではなく小さい島々がより集まった海辺でした。 (以乃山:(眉山)から見た城山) 蜂須賀はその中心にあった美しい天然の古木が生え茂った小島に目をつ…

倭の魂ここにあり(倭大國魂神社)

倭大国魂神社の鎮座する阿波は倭の国であり、奈良は大倭坐大国魂神社の鎮座する大倭の国である。 奈良地方は、国生みの八番目に生み出された「大倭豊秋津嶋」と名付けられております。 豊秋津嶋とは「豊葦原の水穂国(天孫の治める国)」、「秋津嶋倭」の用…

消滅した古墳群(伊加加志神社)

「桑村山の麓にあり、俗に日命大明神、今は伊加加志大明神、野老傳へて曰く、桑村の河邊に大竹藪あり、その地をイカカシと云ふ、今は川となりて、田少しのこれり、昔し是地より山ノ麓へうつしたりと、その時より日命と號す、近代、神官イカカシト改むものは…