寿永四年二月二十一日讃岐八(屋)島の合戦にやぶれた門脇中納言の次男 平国盛公は安徳天皇を守護した奉いながら三好郡の井内谷から祖谷山へ入山した。 国盛公、讃岐八(屋)島より落ち、志度にやどる、義経志度を犯す、国盛兵を引具して讃岐白鳥に引き移る…
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